〇八幡建治著 昭和55年 私家版

〇明治41年生まれの著者が語る大正から昭和の新潟市

〇表題「下町の子」は新潟市の町中の生まれであれば「しもまちの子」と読むはずです。

〇「しも」とは新潟市の総鎮守白山神社を「上 かみ」一番町とし、大体十二番町以降の信濃川の川口近くまでをいいます。

 

●こんな昔の姿をボンヤリと思い出している耳元に、「ホラ餓鬼共、じゃまだ。どけろッ、どけろッ。まごまごしていると水をぶッかるぞ」と荷車怒鳴る声が聞こえてくるようだ。

 

〇番太郎 町内の雑事や夜回りなどの世話をした人、いくつかの町内から手当をもらっていた。江戸では町内におかれた番屋の管理をしたり、事故や事件の手伝いをした。同様の名前が新潟町に残っていました。

 

●それに下町のどこがねぐらか解らなかったが、下町一帯を根城にしていた薄馬鹿…今時こんな言葉を使うと人権問題になるので、精薄者と訂正する。…が二人居た一人は意地の悪い服装も極粗末なボロ着の、葬式行列に欠かすことのできない先頭の弔い高張り提灯持ちの「安」に、これと対照的の気のよい、身なりも普通の「ドッペッ」の事を語れば、当時の下町ののどかさが、いっそう濃くなってくるであろう。

 

〇大正時代の回想なので現代の感覚とはズレがあります。御承知ください。江戸であれば非人というような立場の人が当時にはまだ、いたことが分かります。

 

〇昨日、今日と寒さが厳しく今日は昼頃から雪が続いて明日の朝には15センチ位は積もりそうです。昨年より冬の訪れは早いようです。