〇八幡建治著 昭和55年 私家版

〇明治41年生まれの著者が語る大正から昭和の新潟市

〇表題「下町の子」は新潟市の町中の生まれであれば「しもまちの子」と読むはずです。

〇「しも」とは新潟市の総鎮守白山神社を「上 かみ」一番町とし、大体十二番町以降の信濃川の川口近くまでをいいます。

 

●電信柱の脇には鋳掛け屋、洋傘直し屋、それに、手押し車にポッポと蒸気を立てて、僅かの隙間に陣取っている煙管の羅宇替え屋等、子供にも結構楽しめる物見通りになっておった。

 

〇鋳掛け屋 鍋の底を修理する露天商。

〇羅宇替え らうかえ 煙管の管の掃除や取り替えをする露天商。

 

●地の利を占める私たちは、居ながら街の賑わいを楽しんでいると、ほぅら、又廻ってきたぞ。頭に盥(たらい)のようなヘギをのせ、そのヘギの廻りに小さい旗を押し立てて、太鼓を叩きながら、派手な派手な陣羽織のようなものを羽織って、ニッカボッカーズに似た花模様のズボンに黒脚絆姿の飴屋が子供達に囲まれながらやってくる。

 

〇この飴屋は明治時代の東京でいわれる、「よかよか飴屋」のようです。面白い歌や囃子で子供達を引きつけました。

 

●かと思えば、こんどは俺の番だとばかりに、携帯用の手製の小いすに腰掛け、山伏が担うような笈(おい)に似た、背の高い小引き出しのたくさんある木箱を飾台にしている。その廻りの子供達が固唾を飲んで飴細工を見ている。

 

●飴屋は葦のような物の先に飴を丸めにつけ、片方を口にくわえて息を吹き込みながら、鶯だの鶏だのを指先で器用に作り、紅をチョッチョッと塗って作っている。

 

〇これは飴細工屋です。子供達のリクエストで飴を細工しました。このような飴屋は私の子供の頃にはなくなってしまいました。お祭りの屋台でも見たことはありません。