〇昭和37年毎日新聞刊。鈴木一は鈴木貫太郎の長男。農林官僚、総理秘書官、宮内庁官僚を歴任。長男でなければ知り得ない情報があります。この本はフリーマーケットで50円で買いました。

 

〇鈴木貫太郎1818-1948 海軍大将。終戦時の総理大臣、男爵。

 

●日本民族が一億玉砕で、ローマに滅ぼされたカルタゴと同じ運命をたどっていたまっただ中に、狂瀾を既倒にかえすというあの終戦の大業は、実に陛下と終戦内閣の総理であった父との、以心伝心でによって成就といっても過言ではあるまい。一日も速やかなる終戦をということが、大命降下の瞬間に二人の間に見えざる電波となって交流したにちがいない。

 

〇これは、そうであろう。鈴木はさまざまな意見をまとめて、終戦に持って行くことの困難なこと、人間関係の対立を調整していかなければならないことに自分の高齢の立場から不安を持ち、再三固辞したのだが、陛下の苦悩を共有したからには陛下と供に終戦をなしとげようと思ったのだと思います。

 

●されば波瀾万丈の日月を経て、いよいよ終戦の前夜八月十四日の夜のことであったと思う。終戦の詔勅をいただいて、万事決定して家にたどりついた時、父は私を呼んで

「今日は陛下から二度までも『よくやってくれたね』『よくやってくれたね』とのお言葉をいただいた」としばし面を伏せて感涙にむせびながら話してくれた。

 

●父はこのお言葉のためにこそ、二・二六事件にも死なず生き通してきたのである。まことに以心伝心の法悦を味わい得た父は、無類の幸福者であったといわねばならない。

 

〇御前会議で終戦と決まった経過には一つのエピソードがある。内閣書記官長の迫水久常の回想だったと思いますが、米内海相は御前会議の進行について鈴木に指示しています。

 

〇終戦の議論は二分するだろうから、決して多数決などしてはいけない。結論が出ないから陛下にご決断を願う。という結末にしなければならないと。

 

〇鈴木は御前会議で参加者に終戦の意見を一人ずつ言わせます。その後、討議に移るかと思ったときに鈴木は突然起立し、

「御覧のように、意見がまとまりませんので、畏れ多いことではありますが、陛下の御聖断を仰ぎ奉ります」と天皇陛下へ発言を求めました。

 

〇この時反対の意見の者が発言すれば、収集のつかないものになったのですが、陸軍大臣の阿南惟幾は天皇の侍従武官を勤めた経験があり、陛下の内意理解していましたから、強く反対をしませんでした。

 

〇阿南は陸軍の総意を裏切るような形となり、陸軍の責任者として後に自決します。映画「日本の一番長い日」では終戦の前日、阿南が鈴木に南方軍から届いた葉巻を差し出し、鈴木を慰労します。鈴木は「阿南君は、いとまごいを、しにきてくれたんだね」といって自決を見通した発言をします。二人の間にも以心伝心があったといえます。

 

〇記憶していたことを元に書いていますので、不正確な部分があります。