〇昭和37年毎日新聞刊。鈴木一は鈴木貫太郎の長男。農林官僚、総理秘書官、宮内庁官僚を歴任。長男でなければ知り得ない情報があります。この本はフリーマーケットで50円で買いました。

 

〇鈴木貫太郎1818-1948 海軍大将。終戦時の総理大臣、男爵。

 

●陛下の大命降下のお話しも、いったんは御辞退申し上げたのであるが、「耳が聞こえなくてもよい、政治に経験がなくてもよいからやれよ」とのお言葉には、いかんともいたしがたく、大任をお受けしたのである。侍従長として八年間、側近に奉仕した父としては、死を賜るよりも、辛かったことであろう。

 

〇陛下の終戦に関するお考えは鈴木は十分御承知だったと思います。鈴木は明治天皇の示された、「軍人は政治に関与すべからず」という教えを守りたかったのです。

 

〇総理の職に就くと、海軍の早期和平派である海軍大臣の米内光政、海軍次官の井上成美、海軍大学付きの高木惣吉などが、鈴木総理を支えました。

 

●されば、組閣直後、発表された総理談話には{私はもとより老躯を国民諸君の最前線に埋める覚悟で、国政の処理に当たります。諸君もまた、私の屍を踏み越えて…」の心境こそは、まことに意味深長といわなければならない。

 

●心中深く死を決して国政処理に当たった名宰相は、古今東西あったであろうが、堂々と我が屍を越えて行けと国民に呼びかけた者があったであろうか。いかにして終戦にもちこむべきか。一日も速やかなる終戦こそ、陛下の大御心であることは、父は大命降下以前から確信していたにちがいない。東洋には以心伝心という言葉があるが、陛下のお口から伺わなくても最も信任の厚かった侍従長としては当然のことである。

 

〇鈴木一の立場からすればそうであろうが、鈴木総理は表面に終戦・和平を出すわけにはいかなかった。陸軍は支那大陸に展開して戦闘を継続しており、艦隊を失い大きく戦闘能力を失った海軍にも戦争継続派がたくさん存在していたからです。

 

〇「我が屍を越えて行け」戦争継続を訴えたものと新聞は報道しました。和平工作が表面化すれば鈴木は暗殺されたろうし、陛下自体がクーデターにみまわれることにもなりかねません。

 

〇終戦までの鈴木総理は心中をさとられないために時には強硬意見を言い、戦争継続派の干渉を防いでいたということです。