〇昭和17年刊、編者は原田熊雄。男爵、西園寺公望の晩年の個人秘書。「西園寺公とその政局」を編集し東京裁判の対策を立てたということで名を残しています。

 

〇わたしは30代に東京の古書市で原田熊雄が山下亀三郎に宛てた手紙を買いました。悪ふざけしたような内容でおかしな手紙でした。原田は冗談ばかりいう愉快な人であったようです。以来原田と西園寺の関連本を読むようになりました。

 

〇この本は戦後復刻されていますが文庫化はされていないようです。

〇西園寺公望1849-1940 陶庵は号。

 明治39年と44年内閣総理大臣。最後の元老として昭和に入ると晩年まで後継総理大臣を天皇に奏請した。

 

●総理大臣在職中、上方に旅行すると、桑名の富豪某が、会いたい、といってよこしたけれど、紹介もないことだし、きっぱり断らせた。すると、今度は伝言で、

「宿屋の勘定は、全部当方で御引き受け致すから、、是非そのままでお立ち願いたい。」

 

●とのこと、失礼にも程があるので

「よけいなお世話だ」

とヒコとの下にはねつけた。後に聞けば、大臣の中には、当然のようにそういう申し出を受け、大いばりで発っていく者もあるとか、実にひどい世の中になってきたものだ。とその当時であきれかえったものだが、近頃では、おそらくもっとひどかろうね。

 

〇乃木さんにも同様な話があります。ある地方へ旅行したときに、乃木さんは供も連れずに、田舎のオヤジのような風体で、旅館に泊まり、旅館ではあまり上等ではない、部屋に案内します。

 

〇翌日乃木閣下はどこにお泊まりかという、捜査で見つけられ、一同が恐縮したということです。乃木さんは特別扱いされるのがいやなことと宿賃は自分で払うという意志があったものと思います。

 

〇乃木さんも西園寺も国から応分の手当をいただいているのだから、金に汚いという印象を国民に見せるわけにはいかないと思われたと信じます。

 

〇自分の地位に対して、責任を持つということでしょう。森前総理が、某から200万円の見舞金をもらったとか、現大臣が政治資金で、事務所の家賃を家族に環流したなど、恥ずかしい話しがこの頃はあります。

 

〇恥ずかしい話しも、抗弁してうやむやにしてしまう、世の中になりました。