〇昭和17年刊、編者は原田熊雄。男爵、西園寺公望の晩年の個人秘書。「西園寺公とその政局」を編集し東京裁判の対策を立てたということで名を残しています。

 

〇わたしは30代に東京の古書市で原田熊雄が山下亀三郎に宛てた手紙を買いました。悪ふざけしたような内容でおかしな手紙でした。原田は冗談ばかりいう愉快な人であったようです。以来原田と西園寺の関連本を読むようになりました。

 

〇この本は戦後復刻されていますが文庫化はされていないようです。

〇西園寺公望1849-1940 陶庵は号。

 明治39年と44年内閣総理大臣。最後の元老として昭和に入ると晩年まで後継総理大臣を天皇に奏請した。

 

●その頃には、時々ビスマルクにも会ったが、ある晩餐の席上、談たまたまロシアに及ぶと,政治、経済、国民性その他あらゆる部門にわたって、徹頭徹尾、ビスマルクの一人舞台でその詳しいのに驚き、かつ又面白く聞いていたところ、どこの公使であったか,そばにいた者が小声で、

「又,ビスマルク得意の長広舌が始まったか、俺はもうこれで三度目、飽き飽きしてしまった。よくお前は神妙に聞いているな」

というので」

 

〇西園寺が独逸公使だったのは明治21年頃。ビスマルクは鉄血宰相といわれ独逸統一の功労者。ウイルヘルム1世の時代。このときビスマルクは70代、当時の70代は長命で、同じ話を繰り返したというのは無理ありません。

 

●「俺は,初めてで、面白いよ」

 「まあ、初めてならなんだが、たいていの外交官で彼のロシア談に、二度や三度当てられていないものはなかろう。」

と笑っていた。しかし、話す方からいえば相手変われど,主変わらずで、二度だろうと三度だろうと,一々そんなことまで、気にかけていられない。