〇ブックオフで中江兆民の本を百円で買いました。旧蔵者の鉛筆線引きがたくさんあったので、百円になったらしいです。最近は最低価格が220円が多くなりました。

 

〇中江本は『三酔人経綸問答』を少し読んだ程度です。難しい表現でつかれました。この評論集の中の「外交を論ず」は読んで驚きました。現在の問題が見えたからです。少し長いのですが分割して書いて行くことにします。

〇中江兆民1847-1901

〇土佐藩士族。慶応元年藩留学生として長崎遊学、仏語研修

〇慶応三年兵庫フランス外交団通訳

〇明治四年岩倉外交団に同行

〇明治七年帰国、フランス学塾を開く

〇明治二十年保安条例に違追放される。

〇明治二十二年追放解除

〇翌年第一回衆議院議員に当選する。

 

〇原文は漢文読み下し口調なので、不完全ですが、口語に近いものに直しました。

 

◎ ロシア、イギリス、ドイツ、アメリカ、これら強国のどれか一国と同盟するをよしとする方策に対し,兆民はそのいずれも非とし、非同盟中立を是とする。

明治21年8月26日28日 東雲新聞  編者註

 

●論者はややもすれば、我が日本は小国で貧しいという。貧しくとも小国ではない。人口を調べるとイタリア、フランスに比べると大きな差があるわけではない。ベルギー、スイスと比べると大国であるといえる。

 

●ああ三千万人の国民が力を合わせ、団結するならば、日本国とか蜻蛉洲(あきつしま)とか名乗っていながら、息絶え絶えとして外国人の鼻息をうかがって国の独立を保つのは浅ましいことではないか。

 

●十九世紀如何に未開であり万国公法が無力であっても我が三千万人の国民が団結し仁によって義を行えば、彼等が我が国に無礼を行えば、我ら三千万人の国民が死を決して戦えば、全国が焦土となってもあきらめない。

 

〇列強が弱小国を未開とあなどり、万国公法は無効として植民地にしていました。文明や万国公法は列強間の合意事項でアジア、アフリカ等には当てはまらないことでした。

 

●弾丸が雨のように降り注いでも逃げず。義とともに立ち上がり、義と共に戦死しても、小さな利権にこだわるような卑しい考えを胸の中に持たないのであれば、彼の列強の凶暴を恐れることはない。

 

〇兆民の思想は西郷隆盛の文明論とほぼ同じです。列強が好き勝手をして自分たちが華美な暮らしをしているのは文明てきではないと西郷は批判しています。

 

〇日本は日露戦争後列強のクラブに入り、帝国主義をめざしてしまいます。兆民の時代はまだアジアの連合をめざす大アジア主義や民権運動が国民の理解を得ていました。

 

◎阪神タイガース  佐藤輝を二塁にまわしました。正気の沙汰とは思えません。自分で好きなように選手を動かし楽しんでいるように見えます。

 

◎古い話ですが、西鉄で監督をした三原脩は奇手奇策を使って勝ちを呼び込みました。矢野さんの奇手奇策は敗戦につながっています。選手は心中どう思ったのだろう。