○坊城俊良著 宮中五十年 明徳出版 昭和35年刊

○坊城俊良1893-1966 幼少にして侍従職出仕以来、宮内官として皇室に奉仕した。旧伯爵。

○明治天皇1852-1912

○英照皇太后1835-1897(孝明天皇女御 のち皇太后に冊立)

○昭憲皇后1849-1914(明治天皇皇后)

○貞明皇后1884-1951(大正天皇皇后)

 

●明治天皇と昭憲皇太后

 

●明治天皇が崩御になられると、ただちに大正天皇が御践祚になられた。形の上でもそれまで海軍中将の御軍装であられたのが、大元帥の御軍装に変わられる。悲しみの内にも厳粛の御儀である。また皇后様は皇太后となられ、御位置がすっかり変わられる。私はまたすぐに大正天皇のお付きとなったのである。

 

〇大元帥陛下 天皇は陸海軍の統帥者として「大元帥」の尊称を用いられます。元帥と大元帥は位ではなく尊称です。元帥は大将の中から軍功抜群の者が選抜されました。元帥は死去するまで現役の軍人と位置づけられました。大元帥は天皇一人です。「大元帥陛下」と呼ばれました。

 

●大正天皇は御践祚ののち奧に成らせられ,明治天皇の御尊骸を恭しく御拝あらせられ、皇太后様に御挨拶をなさるのであるが、この時、皇太后は、御挨拶をお受けになる位置を、大正天皇の下位にお出ましになられた。

 

●ところが大正天皇は皇太后様に上位におつき願いたいと申され、皇太后様は「このままで御挨拶を…」と申され、お譲り合いがしばらく続き、その場に居合わせた二三の女官は,このうるわ悲しい情景にうたれ、皇太后様の御心中を拝察して泣いてしまう有様であった。

 

〇大正天皇が御践祚になった瞬間から新帝となられたので昭憲皇太后は大正天皇の臣下となりましたから、それを身を持ってお示しになったのです。

 

◎阪神タイガース またしても1点では勝てません。昨日は1点で奇跡的に勝ちました。こんなことは2日続きません。

昨日は大山のファインプレーが話題になりました。私は大山は使い捨てにされて気の毒と感じました。

 

◎大山の守備位置はレフトなのか、三塁なのか、一塁なのか自分自身も失望しているだろうと。マルテが1塁しかできないからしかたがないのか。どこを守るのか固定して欲しい。佐藤輝の悪送球についても外野と内野の兼務でスローイングのタイミングが身についていないのだと思います。

 

◎矢野さんは監督になってからくるくると選手を替自分の好みでやるのは結構ですが、勝利という結果が出なければやり方を変えていくことも考えて欲しい。勝たないように野球をやっていると誤解されています。