○坊城俊良著 宮中五十年 明徳出版 昭和35年刊

○坊城俊良1893-1966 幼少にして侍従職出仕以来、宮内官として皇室に奉仕した。旧伯爵。

○明治天皇1852-1912

○英照皇太后1835-1897(孝明天皇女御 のち皇太后に冊立)

○昭憲皇后1849-1914(明治天皇皇后)

○貞明皇后1884-1951(大正天皇皇后)

 

●大帝崩御の日

 

●ご重患の報一度び発せらるるや、全国民は非常な衝撃を受けた。今日の世相からすれば、全く想像を絶したものがあったようにおもう。東京都下の各小学校では毎朝全生徒に御用体を知らせ当局から別段の通達もなかったはずだが、謹慎祈願するありさまであった。

 

○明治以前には天皇や将軍の御不例は国民に知らせることもなく、口コミで庶民に伝わっていた。明治天皇の場合は宮内省発表があり、各新聞に掲載されていた。それだけに国民は我がことのように心配した。

 

○帝都東京では皇居前広場に御病気平癒を祈る国民であふれた。このような心情は昭和天皇の御不例の時に国民が胸に懐いた心情と通ずるものがある。

 

●その他の国民一般の憂慮心痛は当時の新聞にも伝えられたように国を挙げての憂慮であった。はじめの間は、私などはまだ年少だったせいか、何の不安も持っていなかったが、 日が経つにつれて,人々の面上に,覆いがたき憂色を見るようになった。

 

○開国から世界の強大国に追いつこうとして、国民国家になった日本、明治という時代が、終わろうとしている不安を国民がなんとなく感じたのでしょう。

 

◎阪神タイガース  1点では勝つことは難しい。岩崎を責められないと思いました。