○坊城俊良著 宮中五十年 明徳出版 昭和35年刊

○坊城俊良1893-1966 幼少にして侍従職出仕以来、宮内官として皇室に奉仕した。旧伯爵。

○明治天皇1852-1912

○英照皇太后1835-1897(孝明天皇女御 のち皇太后に冊立)

○昭憲皇后1849-1914(明治天皇皇后)

○貞明皇后1884-1951(大正天皇皇后)

●大帝と宮中神事

 

●私が存じ上げた御晩年には賢所の御拝は全くなかった。それについてこんな話しを伺った。

 

●自分も年を取ったので、賢所で万一粗相でもあっては、まことに畏れ多いし、英照皇太后も御年六十をすぎられてからは御拝がなかったので、自分も見習ったのである。

 

●英照皇太后が御拝をお取りやめになったのも、御同様のおこころづかいからであったそうで、賢所の御拝をいかに重大に思し召されていたかが拝察される。

 

●御祭儀に御代拝を差し向けている間は、皇后は御常御殿でお慎みあそばされた。

 

○御代拝 女官の高位者が皇后に代わって祭事を行うこと。天皇の場合は侍従が代拝することが多かった。代拝の間は私事をせず、御自分も祭事を行っている気持ちで端座された。

 

●また、行啓先で神社御参拝の場合、正式の時には御潔斎遊ばされ、純白の御洋装でお手水、お払いの後玉串を奉奠された。玉串奉奠のないのは略式の場合である。

 

○明治から大正の事例で、現在では皇后がこのような祭事をされているのかは不明です。

 

◎阪神タイガース零封負け。今日のような試合こそ監督の力で、僅少得点勝ちしてほしいところでした。一度ヒットエンドランを仕掛けましたが、セカンドベース上にころがりダブルプレー。解説はセオリーとしてセンター方向ころがさないといっていました。盗塁もやったがうまくいかず、素人のわたしは今日も負けるんだとあきらめて見ていました。