○坊城俊良著 宮中五十年 明徳出版 昭和35年刊
○坊城俊良1893-1966 幼少にして侍従職出仕以来、宮内官として皇室に奉仕した。旧伯爵。
○明治天皇1852-1912
●日露戦争の前後
●例年の季節になると、御上から何日に梅放りをやる。と仰せ出される。すると、その日に参加する者は、女嬬たちをはじめ、それぞれ思い思いの隠し芸をご披露するために秘密の練習を始める。扮装に用いる衣装なども用意して、一二週間も前からその日を待ちわびる。村祭りの若者たちが早くからお囃子の稽古などに余念がないのと同じように、みんな一生懸命であった。
○女嬬 にょじゅ 下級の女官
●その日両陛下がお廊下にお出ましになるとまず余興から始まる。菅笠に紅の襷、赤い蹴出しを見せて「雀百まで」や法界坊を唄う者、三味線に合わせて踊る若い人もあれば、奇想天外な仮装行列も現れる。東西に別れてかけ声いさましい綱引きもある。
●時間にして二時間から三時間ののことだが、両陛下は非常なご機嫌で、闊達な明治天皇は高声を立ててお笑いになり、しばしば拍手喝采をされる。みんなは、もとより一滴の酒も口にしていないのだが、陛下のお喜びのさまが心から嬉しく,酔ったようになって羽目を外して熱演したものであった。
●そのあとで「梅放り」となるのだが、余興で佳境に入ってからのことなので、みんな元気いっぱい、老いも若きも天真爛漫の童心に返って梅の実を争った。
●お上の思し召しとしては、日頃お側に仕える者たちを,慰められ親睦せしめられるためのお催しであったと思うが、お仕えする者たちにの方では、陛下に喜んでいただくためにと一生懸命になった。ほんの素人の隠し芸、とりたてていうほどのものでなくても、その稽古は真剣そのものであった。この気持ちの盛り上がりが、素朴な「梅放り」を、忘れられない楽しいものにしていたのである。
○女官の種類は典侍、権典侍、命婦、権命婦、女嬬だったと思います。女嬬は上の女官の部屋子として家来のようにしていました。多くは宮中の官舎に住み込んでいます。
○明治天皇を頂点とした一家のような連帯があったと思います。この文を読むと一家団欒のような楽しさが伝わってきます。
○現在の宮中や宮家の官吏の多くは公務員として天下った者が多く、皇族に奉仕するというよりは勤務するという感覚になっているようです。宮内庁の長官などは皇室の家令としての感覚が欠如して総理官邸の方を向いているのではないかと思わせます。
◎阪神タイガース4連敗。矢野さんやめてくれ。今シーズンで退任なら5月に辞めても同じこと。カープのルーツさんは5月に辞めてカープ初優勝の人柱になったぞ。
◎選手の自主性といって、内野守備の鍛錬を怠り、同じ過ちを繰り返している。ここ三年スカッとする結果を出していない。いやだな。3回に1度くらいは勝ってくれ。↓
◎今日も負けたか タイガース5連敗 内野守備の乱れから失点。