○坊城俊良著 宮中五十年 明徳出版 昭和35年刊

○坊城俊良1893-1966 幼少にして侍従職出仕以来、宮内官として皇室に奉仕した。旧伯爵。

○明治天皇1852-1912

 

●私は明治二十六年の生まれで、数え年十歳の時、明治三十五年学習院在学のままお召し出しを受けた。その頃、公卿の子弟四五人が陛下(明治天皇)の御側に奉仕する習わしで、その時の先輩には石山、長谷などがいた。余り古いことで他は記憶にない。

 

○明治天皇は下級の公家を経済援助するために、近習として召し出し同時に折に触れて教育しました。昭憲皇后もこうした少年達に漢籍の教育を奨励されました。

 

●侍従職出仕という役目で、奥の陛下の御座所脇、廊下のところに机があってそこが私たちの控所、この奥御殿は大人達は出入禁止となっていて、私たちがこの奥と表の取次、連絡の役目をした。

 

●朝八時に出勤すると、毎日一時間程漢文と英語を一日おきに教えられた。先生は漢文が元田永孚先生の門下で北村信篤という人(後内務大臣秘書官をした)英語は原忠道だった。原さんは今も健在(昭和35年当時)である。学習院の初等科は一日おきに通った。

 

○元田永孚 明治中期まで明治天皇の師父として帝王学を指導した。

 

○私は明治時代が好きなのですが、当然明治天皇挙動やお言葉

を知ることが伴います。戦前に書かれたものは、皇室を敬うことが先に立ちどうしても事実と離れたいい方になってしまいがちです。

本書は戦後の出版で坊城氏は比較的自由に体験を書かれています。これからしばらく続けようと思います。