○雑誌「あまから」1950年から60年代に大阪で発行されたタウン誌です。食に関するグルメ雑誌のさきがけ。以前に取り上げましたので、2回目の続編になります。

 

○近藤啓太郎1920-2002 作家、芥川賞。房州鴨川に居住、愛犬家で知られた。

 

○山本夏彦のコラムに鏑木清方翁が「この頃のさんまはちっともうまくない。昔のさんまはもっとうまかった。」と語った一文があったように思います。清方は日本画家明治10年頃の生まれ。こう語ったのは昭和40年頃と思います。これを受けて夏彦は、新聞に載った清方翁の言葉に読者からは昔を懐かしんでいるんだとか、味覚がおかしいのではないかといった批判が寄せられた。夏彦は続けてこれは間違っている。我々が食べているさんまのほとんどは冷凍さんまである。客は安いさんまを買うが高いと他の魚屋にいってしまう。だから魚屋は生きのいい採れたてのさんまは高いので店頭には出さず、分かる客だけによいさんまを売っているのだ。いつのまにか私たちは本当のさんまのおいしさを忘れてしまったのだと断じています。

 

○これは以前の「あまから」のブログで使用した文です。これを裏付ける内容を近藤啓太郎が書いていますので紹介します。

 

●南房総鴨川町に住んでいる私は、月に一度か二度ね上京する。そしてその朝大謀網で捕れた魚があったとき、一貫目ないし二貫目の魚を竹籠に詰めて、土産にもっていく。近頃は原産地でも魚は高価である上に,不精者の私にとって、重い手荷物は苦手中の苦手なのだが、東京の友人達の喜びを思って、つい無理をしてしまうのである。

 

●上野池之端の野波旅館が私の定泊だが、ここの家族も私の魚を毎月の楽しみにしている。あるとき、女将がいった。

「私、いつでも不思議でしかたないんだけど、近藤さんからいただいたお魚は、二三日たっても、おいしいのはどうしてかしら?東京で買った新しいお魚よりも、おいしいのよ。不思議だわ。」

「それは、不思議だね。」と私は相槌を打った。

 

●たとえば、鴨川の朝網で獲れた魚をすぐ氷といっしょに樽に詰めて、トラックで築地へ運ぶ。それを翌朝、魚屋が買っていって店で売る。つまり、昨日獲れた魚ということになる。が、それよりも、僕が持ってきて二三日も冷蔵庫へ入れておいた魚の方がうまいというわけだ。確かに不思議だね」

「そうなのよ。どうしてかしら?」

 

●私はしばらく考えた。そして、そして知り合いの漁師からいつか聞いた言葉を思い出した。

「機械船で釣ってきた鰹と一艇漕で釣ってきた鰹じゃあ、味が違うだよ」機械船は振動があるから鰹が傷むださ。一艇漕は櫓だから振動がねえだよ」

 

○魚は釣り竿でとったものが、傷みがなくてうまいということは知っていました。はえ縄漁は魚が死んでしまっていることがあり、味が落ちます。網で取れば網と魚がすれあって傷みが多いということです。

 

○昔の漁師は和船で捕った魚は揺れが少なく、味がいいといっています。「ほんとかいな」とおもいますが、こればっかりは相当の金持ちでなければ検証できないことです。

 

○戦前は冷蔵施設も貧弱でしたが、現代の人たちが気づかない魚の味の微妙な違いを知っていたのではないかと想像します。舟の揺れで魚の味が変化するとは、鏑木清方の味覚を越えるものです。

 

○近藤の持参した魚がおいしかったのは数日たって魚肉が熟成してうまみが出たのではないかと思います。今ではテレビ番組などでこうしたことを取り上げますが、当時では不思議な感覚だったと思います。

 

○私たちがスーパーで買うさしみや回る寿司屋のネタなどはほとんどが冷凍物の輸入品ですから、こうした感覚は現代では消えてしまっています。ごく一部の食通の世界の話になってしまいました。