○雑誌「あまから」1950年から60年代に大阪で発行されたタウン誌です。食に関するグルメ雑誌のさきがけ。以前に取り上げましたので、2回目の続編になります。

 

○今東光1898-1977 直木賞作家、参議院議員、僧侶、毒舌和尚で知られた。

 

●僕の記憶にある北海道の函館は、家の女中さんが魚屋に行くと、10銭で大バケツ一杯に鰊やイカを売っていたものだ。少人数の家庭では、1銭か2銭の買い物をしても魚に関する限り恥ずかしいとは思っていなかったものだ。石狩川の生鮭などは上級家庭だけの食べ物だったが、それでも今から思えば気絶する程安かったのだ。

 

○10銭はおそらく大正期であろう。今の感覚では千円という位の感覚。

 

●戦後日本における最大の異変は、日本が民主主義になったなんて馬鹿げた滑稽なことではないのだ。日本の近海から魚が捕れなくなったということだ。美味な魚の宝庫といわれる瀬戸内海から魚が少なくなりつつあるばかりでなく、太平洋でも日本海でも北海道でも漁獲は年々減りつつあるのだ。

 

●いまに日本人は魚というものが、どんな形をしているものだと聞かなければ分からなくなるようになるだろう。そんなことのないためにも、日本の漁夫は魚の乱獲を慎まなければならない。

 

●越前の松葉蟹とは違って、北海道ではタラバ蟹が食える。少し大味だけれど蟹の好きな人にとっては、忘れがたい味覚だろう。アメリカ人は蟹の卵を食べない。食う習慣がないのだ。というのは雌の子持ち蟹は禁漁になってるからだ。そのために蟹は繁殖するわけだ禁漁で食えないから彼等は蟹の卵は食うべからざるものだと思っているのだ。

 

○昭和38年の記事です。今はどうかわかりません。アメリカでは一般に魚卵は食べないようです。アラスカ産の数の子や筋子などは漁獲の時に腹を割いて捨てていました。

 

●それなのに日本人は蟹の卵を珍味として賞味する。これじゃあ蟹がどんどん減っていくのは当たり前じゃないか。日本人はその意味では魚の食い方の下手な人種といわなければならない。

 

●ぼくは札幌でずいぶんたくさん蟹を食べた。料理屋で蟹が出されると蟹が出されると、もったいないまねをしやがると腹を立ててみていると芸者が「これ、おいしいんです。」と蟹の卵を皿にとってくれるのだ

 

●おいしいのは当たり前だ。ただむざむざと食うのが惜しまれるのだ。僕は政府が蟹の卵を食う奴に罰金を課し、子持ち蟹を捕った漁師は牢に入れたらよいと思う。このくらい厳罰にしてやらないと今に日本の近海から蟹は姿を消してしまうだろう。

 

○今は蟹を例にして乱獲を戒めています。昭和38年にこのような認識を持つ人がいたことに驚きました。結局この後日本は高度経済成長に入り、外貨で魚類を買いまくります。アメリカで漁夫が捨てていた魚卵は日本に輸出され、アラスカのシシャモ、ノルウエーの鮭、地中海の鮪を知らずに食べています。日本の経済成長がなければ、食卓から魚は消えていたかも知れません。

 

○日本では漁業資源の維持のために、蟹では漁獲時期を定めたり、サイズ以下の蟹を放すようにしています。養殖や畜養などの「そだてる漁業」に取り組んでいます。

 

○今東光の憂いは、このような漁民の取り組みで防いでいます。日本は主に古来、魚からタンパク質を摂取してきましたから魚の大切さを理解しています。

 

○近年周辺国の無理解な乱獲や経済水域内での違法操業で水産資源が激減し、今東光の憂いが再現されそうです。

 

○今東光は面白い人で、河内のお寺の住職を長いことして、その時の生活から勝新太郎の映画「悪名」の原作を書いています。参議院議員を辞めるとき、田中角栄総理から功労として金杯を授与するといってきたとき、

「そんな、角栄の盃で酒が飲めるかい。金(かね)の盃よりも薄口の漆塗りの盃をくれるのならわかるが」と大変な鼻息でした。

 

○昭和50年頃、今東光は若者に人気があり。週刊プレイボーイ誌に連載の書き物をしていました。