○雑誌「あまから」1950年から60年代に大阪で発行されたタウン誌です。食に関するグルメ雑誌のさきがけ。以前に取り上げましたので、2回目の続編になります。

 

○渡辺紳一郎1900-1978 評論家、博識で知られた。

 

●いつぞや、「話の泉」の一行が芦原温泉に行ってストリップを見物した。美人がぱっと片脚を揚げて,白い肌にコントラストで黒い所を見せたらとたんに嘉次さんが間髪を入れず「アリガトー」と、どなった。ふだんの癖が、ついでてしまったもの、お料理の話しに関係のないことだが、余談として、はしょるのは惜しいので報告しておく。

 

○「話の泉」NHKラジオの人気番組20年代から30年代終わりまで続く。

○「話の泉」の回答者グループで旅をしたことを言っています。渡辺紳一郎は回答者でした。嘉次さんは映画監督の山本嘉次郎。山本は映画撮影の現場の気分でついどなったのでしょう。

 

●もっとも「話の泉」というのは、単にもの知りぶりを見せびらかすものでなく、時あってか、無知をさらけ出してああでもない、こうでもないと悪戦苦闘するところが愛嬌があっておもしろいこともあるそうだ。

 

●お料理のことは、我々日本の男性が知らないのが当たり前「男ってなんて馬鹿でしょう」と思わせるのも一つの手である。

 

●しかし、山嘉次みたいに女以上に料理のことを知っていて、皆をあっけに取らせるのも面白い。あの大監督がまさか、弁当屋のせがれであり、女傑の亭主で,家で女役をやっていると誰も知らないからである。

 

○昭和30年代は「男子厨房に入るを許さず」の意識が強く、家事をする夫は珍しかったのです。