○昭和38年朝日新聞刊 6巻にわたる大部の著作です。昭和史研究の基本研究の一つです。これと「西園寺公と政局」「昭和史の天皇」は、いずれも小説ではなく、学術的なものなのですが、複雑な昭和史の全体像がなんとなく見えてきます。

○高木惣吉海軍少将1893-1979 海兵43期

○山本五十六海軍中将(当時)1884-1943 海兵32期

 

●2.26事件後、広田、林、近衛、平沼の四内閣がわずか三年半の間に交代しましたが、米内、山本の両提督のコンビは広田内閣以外の三内閣に留任したのです。

 

●とにかく平沼内閣は14年1月に成立し、複雑怪奇の台詞で8月に退散するまで、三国協定問題でもみくちゃにされたことは周知のとおりです。米内海相が、閣議や五相会議で猛烈に協定に反対し、板垣陸相と正面衝突しましたが、内部では「金魚大臣(見かけはきれいだが、食い物にはならぬ、見かけ倒しの意)」と仇名されたほどで、その真骨頂はまだ理解されておらず、反対の張本人はもっぱら五十六と噂され、次官への中傷や脅迫が目に余るくらいでした。

 

○米内はあてにならないと海軍内部で見られていたようです。次官の山本がもっぱら矢面に立っていたことが分かります。しかし、後の終戦の御聖断では、米内が御前会議のシナリオ作りの中心になって、鈴木首相を指導したのですから、米内と山本は役割分担をして三国同盟の反対活動をしていたのではないでしょうか。

 

○「複雑怪奇の台詞」 1939年ドイツは突然ソ連と「独ソ不可侵条約」を締結する。日本とは日独防共協定を結んで、反共の立場に立っていたドイツの突然の豹変である。平沼騏一郎内閣総理大臣はこのために施政、外交方針の変換を迫られ、「欧州の天地は複雑怪奇」の声明を出し辞職した。