○中央公論社刊1990年復刊 原本 武侠世界社大正元年刊

○岡本柳之助 嘉永五年生まれ。和歌山藩士。津田出に引き立てられ、新政府の軍人となる。陸奥宗光と同世代の人。竹橋事件に連座し官職を退く。浪人となり、アジア主義・国権主義に傾注し朝鮮や支那の封建制打倒の運動に参加した。明治四十五年上海で客死した。

 

●岡本柳之助 風雲回顧録 手のひらを返す韓廷の態度②大院君を説得

 

○竹橋事件で免官になった岡本は、朝鮮の封建制を改革し、近代化の道を求めて朝鮮と日本の連携の実現に努めていた。金玉均の死後、支那は袁世凱の陸軍が進駐し、日本も居留民保護を目的に七千の陸兵を派遣した。韓国宮廷は皇后の閔妃一族の専断が続き袁世凱と結んで、親日の改革派は霧散した。

 

●この通牒に接した大鳥公使以下は、横暴なる清国の教唆を憎むと同時に手のひらを返す韓廷の反覆に憤慨して、いやしくも属邦保護という遺法の名目を以て清兵が牙山に滞在しているのを捨て置きながら、正々堂々たる我が軍に撤去を促すとは何事ぞ。

 

○韓廷は、日本と支那の対立がやがて戦争につながることを予見していたのだと思います。「まさか、清国のような大国が日本に負けるはずがない」という予断を持っていたのです。

 

●京城の空は暗雲に覆われた。東邦協会からやってきた稲垣満次郎、福本日南、三宅雄二郎、自由党から田中賢道を初め在野の志士佃信夫等がぞくぞくと乗り込んで「腰抜け 日本政府はとうてい清国を向こうへまわしておっぱじめる勇気はない。この際よろしく閔泳駿を切って迎王門を焼いてしまえ」と大鳥公使に迫る。

 

○閔泳駿は閔妃の外戚、どのような人かはっきりしません。閔妃は高宗をコントロールし、一族が政権を動かし清国に依存していたので、日本の活動家の恨みを買っていたようです。

 

●また、鈴木天眼、内田甲、田中侍郎、武田範之等の天佑侠一党も過激な運動をやる。

 

○天佑侠は頭山満の玄洋社の流れを汲むグループ。日露戦争までは政府の政策に対する行動派のロビイストとしてこのような非政府の勢力が活躍しています。

 

●この間暗中の飛躍を続けてきた先生の鋭い瞳には、彼我の秘策が手に取るように映じてきた。するとある黄昏、安けい寿が人目を避けて先生を訪ねてきた。

「日本の兵はどうしたら撤去してくれましょうか?王宮でも非常に心配して、もし支那と日本で開戦すれば、国王は春風かどこかへ避難せねばなりませんから…」

「何を馬鹿なことを言う。国王が一歩王宮を出ずれば、朝鮮の社稷はその時が滅亡である」

 

○清と日本は朝鮮国の独立を保つという名目で軍を対峙させているのに、もし、国王が戦を避けて地方へ逃げるようなことがあれば、袁世凱によって拉致され、支那の支配が強まるというわけです。両国の引っ張り合いでうろたえる朝鮮国という状況です。

 

●叱責するが如く懇々と不可を説いて立ち去らしめ、先生は急いで大鳥、杉村に面会し「もし、国王が王宮から出れば、日本が朝鮮の独立をほごするという名目が立たぬ。決してこの事のないように」とこの後執るべき方針を議した。

 

○国王高宗は優柔不断で、閔妃が実権を握っている。何とかして日本の影響力を韓廷に伸ばさなければならん。次の秘策は。

 

●「この場合、閔泳駿の執政を根本から覆さなければ、韓半島の改革はできるものではない。それにしては大院君を起たさなければだめだ。わしが大院君を説いてみよう」

 

○岡本は高宗を動かすことのできるもう一人の人は高宗の父大院君であると見抜きました。大院君と閔妃は対立し閔妃によって大院君は排除されていました。政権や地方の長官などから追われた勢力は大院君を頼っています。大院君グループと日本の浪人会や陸軍の出先機関が一体となってクーデターを起こそうというものです。

 

○満州事変の石原莞爾を思い起こさせる行動です。