○本書は戊辰戦争六十年を期して出版されたものと思います。新潟市の幕末明治の古老の聞書としては唯一のものと思います。

○編者の鏡淵九六郎1869-1940です。医師の傍ら談話収集に努めました。本書は少数出版であったために、古書店では高値となり、入手困難になったそうです。

 

○のち平成三年に復刻されました。この稿は復刻本を基にしています。復刻に当たっては医師の蒲原宏氏が努力されています。蒲原氏は郷土史家で日本医学史を研究されました。私は講演を拝聴したことがあります。

●牛乳及び牛肉の売り始め③ 学校町三 原幸平翁 七六才

 

●それから明治二十年後は洋牛雑種となった。昔は五六月、草のたくさんあるとき二三才ぐらいの南部牛を百頭以上も七人くらいで引き連れて、新潟浜を通ったものだが、それは米山地方から信州地方の山稼ぎに用うる働き牛に売るためで、肉用などとは思いもよらぬのだ。

 

○この部分は興味深いです。農耕用の牛は南部から新潟までカーボーイのように連れてきたというのです。米山地方は柏崎のあたり、そこから塩の道を通って信濃地方まで南部牛が流通したといっています。

 

●新潟へ売ると殺して食用にするから売らぬと持ち主が警戒した時代もあった。山の下に牛街道が残っているのは維新前から同所を通行したからで、今は汽車で運ぶから、続いて通ることもなくなった。

 

○山の下は新潟町の対岸の海岸近くの村。牛街道は初めて聞く言葉で、現在は残っていません。南部から酒田、鶴岡を通って新潟浜に来たのか、南部から会津若松を通って津川、新発田から新潟浜を通ったのかと推測します。

 

○いずれにしても、信濃川を渡るので牛を小船に乗せて渡す事は非常な困難だったでしょう。

○チャリネ曲馬団のコック ミオラ(生没年不詳)

 

●西洋料理もチャリネ氏が新潟の開祖である。

 

○新潟古老雑話は今回で終わります。次回からはミオラについてお知らせします。