○木村東介1901-1992 画商、長谷川利明や宮島詠士の作品を世に伝える。山形県米沢市生まれ。実弟は木村武雄。衆議院議員であった。田中角栄派の立ち上げで号令を掛けて派内をまとめ派内では「木村元帥」と尊称されました。
○私は宮島詠士の父誠一郎と勝海舟との関係から、宮島詠士の作品を知りました。宮島詠士の鑑定は木村東介が所定鑑定人のような信用を得ていることが分かりました。以来関心を持っています。この本も古書店で木村東介の名を見つけ買ったものです。
○弟の武雄は田中角栄の内閣の頃テレビで映っているのを見ました。後年武雄が東方会の中野正剛に師事し、大政翼賛会選挙では非推薦で戦い当選、反東条の立場を貫きます。同郷の石原莞爾の国民運動にも参加した国士的な人物です。当然兄の東介も反東条で弾圧を受けています。兄東介にも強い影響を与えたはずです。
○森敦の対談が面白かったので、載せることにします。
○森敦1912-1989 小説家芥川賞作家。山形県に深い縁故を持つ。
●森敦の問答縦横(サンデー毎日 昭和49年所収)①木村の上京まで
木村は木と表示します。
●木 森先生は本物だと思っているんでね、私は商売が商売だから本物とニセ物の鑑定の感覚は鋭いですょ。お酉様の雑踏に行くとね、スリはスリでこの中に何人ぐらい…
森 パッとわかるんですか。
木 私はその感覚だね。これは本物かどうか、わたしにはわから
ないけれど、今東光先生など、それが分かるんですよね。だ
けど、森先生の小説を読んだとき、これは本物だなと思った
な。
森 いやあ…ありがたいですな。
木 わたしはなかなか忙しいから、便所に行っているひまもない
だが、「月山」(1974森敦 芥川賞作品)は読みましたよ。読
んでおって、つまりヤマ場っていうか、見せ場がないんだよ
ね。どっかにヤマ場がでてくるかって考えながら、そろそろで
てきてもいいなといううちに、終わっちゃったんだね。本当のヤ
マ場を作るというのは素人に見せる小説で玄人に見せるには
ヤマ場はいらないわけだね。
○この当時私は大学生で、森敦の芥川賞作「月山は」話題になったのですが、読んでいません。木村がこれほど言うのですから既成のスタイルではなかったようです。
●森 それで弟さんが中々の方で、そのお兄さんとして、弟に負け
るのは残念であると書いているのを見た。
木 てんで問題にしていませんよ。
森 ハハハハ…若い頃中野正剛に近づいたそうですな。どういう
因縁でございますか。
木 わたしは右翼だったんですよ。父親も政治家、叔父も県会議
員だったんです。田舎で。
森 米沢でございますね。
木 ええ。私の弟は二十六才で市議会議員になったわけです
ね。私は木村武雄より政治の方に入り込んだのは早いんで
すが、弟に先を越されちゃつてるわけなんですね。くやしいも
のですから、政治家を志して二十二歳の時に、三木武吉さん
の経営しておる「憲政公論」という雑誌社をめざして上京して
きたんです。大正十一年だと思うんですけどね。確か関東大
震災の前の年だと思うんです。学校は商業学校中途退です。
森 ぼくも中途退学の方です。
木 いや退校の方だったけどね。
森 ぼくも放校だといわれている。(笑い)
○三木武吉1884-1956 政党政治家。大政翼賛会の非推薦で反東条の立場で当選する。戦後は同志鳩山一郎を擁して、吉田内閣と対立し鳩山内閣の成立に努力した。大野伴睦、河野一郎を従えて活動した。
○中途退学は自己都合による退学。退校と放校は問題を起こして懲戒処分を受けて在学できなかったことを指します。