○半藤一利 1930- 東京生まれ。疎開で長岡市に移り、旧制長岡中学卒。山本元帥の後輩と自称。半藤さんは昭和20年代末から旧軍の中枢将校を訪ね歩き談話を取った人です。もうこのような人は出ません。「日本の一番長い日」原作者。
○つい先日この本を見つけたので、現在読んでいるところです。山本さんの発言で私の知らなかったことが書いてありますので、終戦の月のお供えとして書くことにします。コンデコマはお休みしました。
○昭和15年三国同盟の対応についての海軍側の合意についてです。この時には反対派の米内海相は罷免。次官の山本は連合艦隊に出され、軍務局長の井上成美は海軍兵学校校長に飛ばされ、海軍省は三国同盟一色になりつつあった頃です。
●昭和十五年九月十五日、首脳会議が開かれ、及川海相によって同盟締結に対する海軍の意思表明の説明がおこなわれたあと、伏見宮博恭海軍軍令部総長以下の海軍首脳達は寂として声無しの状態となりました。
○省部の首脳は恐らく大勢の動きを読んで沈黙をしたのだろうと思います。山本七平の「空気」が支配している状態です。
●その静寂を破るように、及川海相を睨みつけながら、山本五十六が言い放った言葉は今はよく知られています。
「私は海軍軍人として大臣に対しては絶対に服従するものであります。ただし、一点心配に堪えぬところがあるのでお訊ねしたい。昨年八月まで、私が次官を務めていた当時の企画院の物動計画に依れば、その八割は米英勢力圏内の資材でまかなわれることになっておりました。今回三国同盟を結ぶことになれば、必然的にこれを失うはずですが、その不足を補うためにどうゆう物動計画の切り換えをやられたか、その点を明確に聞かせていただき、連合艦隊の長官として安心して任務の遂行をいたしたいと存ずる次第であります」
●このまっとうな質問に及川海相は答えません。なお山本が発言しようとすると、海相は
「いろいろな意見があろうが、賛成していただきたい。」とぶつぶつ小声でいうのみ。
●そこに伏見宮総長が「ここまできたら、仕方ないね」と賛成、続いて大角岑生大将が「軍事参議官は、みな賛成である。」と発言、これですべてが決した。ということになったのです。陸軍の中堅幹部はこの事実を知るすべもない。
○伏見宮博恭王1875-1946
○この時期海軍は伏見宮が軍令部総長。陸軍は閑院宮載仁王が参謀本部総長を務めています。 井上成美は宮様が総長になることに批判的でした。宮様は小さい頃から取り巻きに育てられ、重大な決定をなさるように育てられていないと、「仕方ないね」で決定してしまいます。宮様の決定にはいかな山本でも反論できません。この後開戦直前になり、宮様は陸海共に身をひきます。開戦の責任を負わせないためです。
○井上は軍務局長の時、部下と三国同盟について議論しています。もとより井上は反ドイツです。部下は井上にどうして局長は反対なさるのですかと聞かれ、ヒットラーは日本を下に見てサル扱いして居るのだぞと答えます。
○部下はそんなことヒットラーの「わが闘争」には書いてありません。と答えると、井上は貴様は日本語に翻訳されている本を読んだのだろう。わしはドイツから取り寄せた原本を読んだのだ。ちゃんと書いてあると。
○井上のような情報を分析する人は中央から飛ばされて、ドイツが勝つという前提でうまくすればインドシナ半島やジャワが手に入ると陸海軍が動き、大失敗したのが半藤さんの分析です。私はこの説に賛成です。何で仏印に軍は進駐したのかの答えのように思います、
○井上の主張は石油がなくても海軍がなくなるわけではない。一か八かの戦争には反対しています。開戦時にはドイツは東部戦線に進出し独ソ戦が始まっています。松岡外相の三国同盟+ソ連の構想は消え失せてしまいっているのです。
○山本のいう資材の確保が困難であろうということは、分析力のある首脳は自覚していました。開戦時の企画院総裁鈴木貞一陸軍大将は物動に不安があることを承知していましたが、東条首相参加の検討会で「とても、いわれるような雰囲気ではなかった」と海軍に習い寂として声無しで終わっています。
○最近では、旧軍の軍事行動を美化するような言動をする軍事評論家が出てきてネット民を惑わしているように思います。陸軍は開戦の直前に南仏印に進駐して油田や麻、ゴムなどの物資を押さえています。オランダは本国はドイツに押さえられていますが、植民地はオランダの主権が存在していますから、乱暴な話しです。陸軍の首脳の中には「火事場泥棒のようで、はずかしい」と発言しています。しかし、某評論家は石油がないのだから、仏印進駐は当然の政策だといっていて、私は驚きました。山本や鈴木貞一が代案を求め提示できれば日本の運命も違っていたと思います。
○参謀本部の佐官だった石井秋穂さんは戦後回想して「侵略思想があったんだね」といっています。ここでは、軍の意志決定に関与した人達を取り上げています。現地の師団や艦艇、陸戦隊に従事した人達の中に大東亜共栄圏の理想に殉じた人達がいたことを否定するものではありません。
○半藤が海軍反省会を抜き書きにして一冊にまとめてくれたおかげで読むことができました。「皆行」の掲載冊子を集めることは困難なことです。陸軍でも同時期に反省会のようなものを省部の将校がテープに残しています。これは文藝春秋から刊行されています。