○宮武外骨1867年-1955年
○宮武は明治憲法発布の式典を風刺して、骸骨の議会の絵にして出版し、不敬罪で逮捕されて入獄しました。しかし、宮武の出すさまざまな雑誌は、学者や文化人の支持を得て長く続きました。
〇昔から使われてきた言葉で人を表す符丁の様ないい方を集めたものです。たとえば落語に出てくる「与太郎」は少し間抜けな者をいいます。このように今でも使われているものと忘れられたものがあります。宮武はここでは江戸期のものを多く集めています。
〇ここからいくつか面白いものを紹介していきます。
●宮武外骨 日本擬人名辞書 14 「せ」の部
●「贅六」(ぜいろく) 江戸っ子が京阪人を罵る語なり、「彼は上方贅六だ、とか「この贅六め」とかいいて悔蔑せり、徳川末期以来の語なるべし、古き書にはこの語見えず、又この語源詳ならず、あるいは贅禄の転なりといい、あるいは上方屋贅六といえる豪奢人ありたりというも、皆牽強付会の説なり、
〇「贅六」は以前からその語源が分からなかったのですが、宮武外骨すらその語源は分からないといっています。「贅六」に対応するのは「関東者」「東夷」でしょうか。
●「千松」 空腹をいう、又料理屋にては飯の代名詞にも使えり、演劇「伽羅先代萩」御殿政岡忠義の段にて「ひもじいめをする」千松よりいでし語なり、
〇料理屋の符丁の一つです。「おあいそだよ」(お客様お勘定だよ)と同じ「奥の間千松だよ」(ご飯お願いします。)となるのでしょう。戦前までは歌舞伎や小芝居を東京人は知っていましたから一寸しゃれた語感がします。
〇先代の古今亭志ん生のまくらに「電車の中で、おう今日は塩原で飲もうじゃねえか、なんて聞こえて参りますが、ちょっとイキに聞こえますな。」(塩原多助 青とのわかれ。桜鍋をつついて飲もうという意味)
〇古今亭志ん生は、深川森下の「みの屋」という馬肉屋へよくいったそうです。私もそれにつられて一度行きました。明治の趣のある店です。
古今亭自身が「塩原」という符丁を愛用していたのかもしれません。
〇ただし、素人が通ぶって、「紫」をくれ、とか「上がり」などというのは
私は好きではありません。店の人が他のお客に気づかれないように符丁を使うのはイキだと思います。