○数年前に手に入れた豆本7×8センチメートルくらいの本があります。

○1963年に新潟市天神尾404の越後豆本の会から出されたものです。100部限定ですから、現存はかなり少ないのではないでしょうか。

●新潟の之坂覚え書き

①念仏寺の坂 関屋本村

②水道町の坂=交番の坂 水道町

③放送局の坂(旧放送局坂) 旭町通り

④医大の坂(現大学附属病院) 旭町通り

⑤検事正の坂 旭町通り

⑥新津さんの坂(新津邸前) 旭町通り

⑦招魂社のだんだん(現大学本部脇) 旭町通り

⑧営所通りの坂=赤十字の坂 旭町通り

⑨協会グランドの坂=猫山の坂(現寄居中学校のグランド) 西大畑町

⑩カトリックの坂=異人池の坂 東大畑町

⑪神宮様の坂 南浜通り

⑫大畑町の坂 西大畑町

⑬二葉校の坂 二葉町

⑭往生院の坂=やこうじ坂 古町通り十

⑮日和山の坂(旧日和山)東堀通り十三番地

⑯烏帽子町の坂 烏帽子町

⑰窪田町の坂 窪田町 

『1963年現在の地名です。現在は総て新潟市中央区にあります。』

 

⑪神宮様の坂 南浜通り

○神宮様の坂はゆるやかで写真ではほとんど平らに見えます。お宮の脇を通る坂です。

○正式には新潟大神宮といいます。明治9年の創建で新しい神社です。明治初期の神道を国教化するために建てられました。江戸時代は寺請け制度で、子供が生まれると檀那寺に届けていましたが、明治維新になり、氏子制度を設け子供が生まれると指定された神社に届け氏子札が交付されました。

 

○しかし、古くから仏教との結びつきが強かった国民に受け入れられずにこのような国家神道は明治10年代の末には廃止されました。新潟大神宮はこのような政策を推進する拠点でしたが、その後は伊勢神宮の御祭神をお祭りする神社として信仰を集めています。

○境内にある石碑です。題字は松平容保、撰文・書は旧会津藩士で漢学者の南摩綱紀です。会津藩士の越後戦争での死者を弔うために明治20年代に建てられました。

 

○前に書きました、招魂社は官軍の死者を弔うために建てられています。会津藩は賊軍なので死者を弔うために越後に何か残したかったんだと思います。私の推測ですが、容保は明治になってから日光東照宮の宮司になっていますから、新潟大神宮の教導職を通して働きかけたのではないかと思います。薩長の政府や県の了解を得るために相当の苦労をされたと思います。

○神宮様の近くにある明治期の木造洋館作り「金井写真館」です。現在は営業していません。この写真館は金井弥一によって開設されました。金井弥一は九段坂の鈴木真一の写場で修行しました。江戸の写真術開祖の下岡蓮杖の弟子が鈴木真一ですから金井は、直系の三代目になります。

 

○明治期に新潟を訪れた有名人の多くは金井写真館で記念の撮影をしたといわれています。