○数年前に手に入れた豆本7×8センチメートルくらいの本があります。

○1963年に新潟市天神尾404の越後豆本の会から出されたものです。100部限定ですから、現存はかなり少ないのではないでしょうか。

●新潟の之坂覚え書き

①念仏寺の坂 関屋本村

②水道町の坂=交番の坂 水道町

③放送局の坂(旧放送局坂) 旭町通り

④医大の坂(現大学附属病院) 旭町通り

⑤検事正の坂 旭町通り

⑥新津さんの坂(新津邸前) 旭町通り

⑦招魂社のだんだん(現大学本部脇) 旭町通り

⑧営所通りの坂=赤十字の坂 旭町通り

⑨協会グランドの坂=猫山の坂(現寄居中学校のグランド) 西大畑町

⑩カトリックの坂=異人池の坂 東大畑町

⑪神宮様の坂 南浜通り

⑫大畑町の坂 西大畑町

⑬二葉校の坂 二葉町

⑭往生院の坂=やこうじ坂 古町通り十

⑮日和山の坂(旧日和山)東堀通り十三番地

⑯烏帽子町の坂 烏帽子町

⑰窪田町の坂 窪田町 

『1963年現在の地名です。現在は総て新潟市中央区にあります。』

○文中の17の坂の大半は、1963年当時私の小学生の頃歩いたり遊んだりしたところです。現在はどうなっているのか、私の時間はたくさんありますから、写真を撮って巡ってみることにしました。

 

⑦招魂社のだんだん(現大学本部脇) 旭町通り

 

○私は高校を卒業して、不勉強故に「新潟予備校」へ行きました。この予備校は今はありませんが、だんだんを上がった当時の新潟大学本部の横にありました。

 

○世界史を教えていた元国士舘の教授だった横山という老先生から奉直戦争のころの張作霖・呉佩孚などの話しを興味深く聞きました。その先生が、「この建物の裏から大学本部のあたりを掘ると人骨が出てくるんだ。」と聞いてその骨が戊辰戦争によるもので昔はここらに護国神社があったことを知りました。

○だんだんを上がって左へ行くと、拝殿へ登る階段の跡が残っています。

○階段脇にわずかに残る当時の松です。豆本の中に和歌が出ています。 

 招魂社の坂のぼりゆけば松匂い 一樹は台風に枝さけて立つ

「思い出の新潟百景 高橋五仙子画 昭和48年新潟日報事業社 刊」

 

○一段と高く構えた石垣。越後の戦争ではたくさんの兵士が打ち死にしました。明治元年にはここに招魂社が建てられ昭和14年新潟県護国神社と改め、そのころから広い境内の西船見町に移転工事を始め昭和20年この地から去りました。

○招魂社跡に立つ建物  1963年当時は新潟大学本部でした。私たちは新大本部(しんだいほんぶ)といっていました。1970年代に新潟大学の医学部を除く学部が郊外へ移転してからはこの建物は医学部の同窓会のサロンのような役目をしているようです。