○このブログのタイトルは「故人今人」からとったものです。明治から戦前までの人物譚を池田成彬が、小汀利得などの対談者の質問に答えています。この本は杉森久英の著書で人物評伝の中にこの本は、読む価値のある本と勧めていました。たまたま古書店見つけたのでもとめたものです。昭和25年世界の日本社刊です。池田成彬の人物ネットワークの分かる面白い本です。

池田成彬は三井財閥の総帥、のち大蔵大臣。

 

○今の評価では、原敬は平民宰相といわれ、爵位も辞退し、藩閥政治を終わらせた政治家として評価が高いのですが、昭和50年頃に海音寺潮五郎が学生の頃を回想した文には、当時の学生であった海音寺やその友人達は原を嫌悪していたそうです。そして原が暗殺されたニュースが伝わると思わずバンザイをしたと書かれています。池田成彬は原敬について次のように語っています。

 

●それから原さんは人から信頼を受けるという点ではすぐれたものでしたね。その時分に、しきりに政友会が横暴をやる。汚いこと、悪いことをするという風説があったのですが私は、あの人が政友会が多数をとるまではいろいろな手を打つだろうが、多数をとったら本当の政治をやる人ではないかと思っておったものです。しかし、この観察は間違いで政友会は二百八十も議席を取り絶対多数になったけれども、やり方は同じで、結局何でも力で行けるという、力で押さえれば世の中のことはすべて片付くというやり方で終始したようですね。

 

 つまり、高度な政治思想をもって政治をやっていくという考えの人ではなく、非常に実際的で何でも力で行く人でしたね。しかし、個人としては清廉な人で、あの人の家などは、月給百円くらい取っておるような人の住む家で、実に簡素な、装飾も何もない家でした。

 

○政友会と民政党の二大政党時代。政権が変わると知事も入れ替わるというアメリカの政治と似ていました。対立の激化は政治不信を生み、軍部の容喙を招いてしまいます。

 

○「月給百円くらい取っておるような人の住む家で」大学卒の初任給が60円くらいの時ですから、一流会社の課長程度でしょうか。この頃は保守政党の幹部は邸宅と呼ばれる敷地を持つものが普通でした。

 

○昭和の政治家に比すれば、田中角栄というところですね。鄧小平ばりの、「黒い猫でも、白い猫でもネズミを捕るのがいいネコだ。」というところです。田中と異なるのは蓄財をしなかったことです。明治大正の政治家は私腹を肥やすものが多かったのです。たとえば、山県有朋はいくつかの別邸を持ち、広大な庭園を造りました。明治初年には陸軍の公金を横流しして山城屋という友人を自殺に追い込んでいます。この視点から見れば、原は立派な政治家だったといってよいでしょう。

 

○政治家の評価で清廉潔白を強調する人がいますが、清廉潔白でも政策を立案し、立法化して国民の生活を良くしていくことができなければ、何の役にも立ちません。同様に対案を出さずに反対ばかりをして、時間をかせぐことのみに汲々としている野党では、政権を取り返す路はますます遠ざかるでしょう。