○「明治人物夜話」森銑三著(岩波文庫 講談社文庫)森は井原西鶴の研究者で近世から明治までの文献に詳しい書誌学者です。いわゆる市井の学者でしたが、人物研究にも功績が有り。明治の雑誌、新聞を丹念に読み、さまざまな人物の意外な面を伝えてくれています。

 

○この本もその一つ私の愛読書です。まだ、古書店に行けばあるでしょう。森銑三についてはこれから後で伝えることにします。

 

●三村竹清大人の項にこんなことが出ています。大意 三村竹清は江戸趣味家、古物蒐集歌道俳諧に優れた趣味人。餅がすきで戦争がだんだん激しくなってきて餅が食べられなくなってきたので「茂竹園」と改名。つまり、「もちくえん」にしたそうです。戦後食べられるようになって解消。思わず笑ってしまいました。そこで面白い名前をいくつか。

 

○二葉亭四迷 これは有名「くたばってしまえ」

 

○鶯亭金竹 「おうていきんしょう」都新聞記者文芸評論家。よしわらの おんなに おうていき んしょう

 

○三遊亭圓生「さんゆうていえんしょう」先代六代目は名人。これは「猿飛んで 一枝青し 峰の松」の古歌 雪山に猿が松の木から飛んで雪が落ちそこだけ青い松が出て美しいの意。初代は山遊亭と名乗ったとか。

 

○翁屋さん馬「おきなやさんば」これも落語家「起きなや 産婆」

 

○三笑亭可楽「さんしょうていからく」これまた落語家「山椒は辛く」

 

○大庭柯公「おおばかこう」大阪朝日新聞記者、社会の底辺の人々を取り上げた著作を残している。「大馬鹿公」大正末ソビエトへ渡り消息不明。

 

○吉幾三 これもすぐ分かりますね。「よし 行くぞ」吉幾三は昭和48年頃出てきたと思います。当時はフォークソングの時代吉幾三もギターを抱いて、「おら 東京さいくだ」を歌った。宮城の吉川団十郎という感じ。(分かるかな)私は当時「おら 東京さいくだ」を映画館で見ました。超B級映画。まさか演歌で大成するとは夢にも感じませませんでした。

 

○もうないかと思ったら、思い出しました。最後は井伊蓉峰明治の演劇人美男子で鳴らしたそうです。だから名前も「いい容貌」 おわり