〇筆者の須磨弥吉郎1892-1970 は外交官スペイン公使でした。
30年くらい前NHKの特集で「私は日本のスパイだった」に登場する人物です。「東」機関のリーダーで対アメリカの情報収集をした人物です。
この号で須磨は支那の専門家ということが解りました。
〇一部表現を替えたり、省略したところがあります。
●広東国民政府
●あとは広西省の軍師李宗仁、白崇嬉にこのことを説いて賛同を受ければ一往邁進できることになった。その説得には汪精衛を満場一致で推してそのことに定まった。
●翌七日汪精衛が私を沙面に訪ねてきて、汪精衛がこの際広東を離れることは危険だから、私が幸い李・白両将軍と旧知の間柄であるから、桂林に赴いて私から両将軍の説得を遂げてくれといい出した。
●私は幣原外相と打ち合わせて広西省の勝景を探ることを表面上の名目として行くことになった。そのことをバランタイン君が知り抜いていたというわけである。
●九月九日の夜である。最も頑強な白崇嬉将軍と徹夜で話して大体の了解を得た。わたくしとしては鬼の首でも取った喜びで広東に帰任したのが運命の日九月十八日である。
西江の船着き場まで、陶履謙という唐有壬と相並んで汪精衛の両腕であった秘書が出迎えて早速にも汪精衛、孫科が私から桂林会談の模様を聞きたいといっていた。
〇陶履謙1890-1944 唐有壬で外交部政務司司長に任ぜられる。
〇唐有壬1894-1935 広東国民政府間政治家。暗殺される。
〇反蒋介石の親日政府の成立の前夜というところです。
★阪神タイガース 今日は熊谷選手の活躍がありました。阪神タイガースの有料チャンネルを契約したころ、真剣に守備練習をキャンプで繰り返していた熊谷選手に着目しました。その後1軍に出てきましたが、打力は非力で代走や守備要員でした。昨日、今日は打力を生かして大活躍。うれしかったです。
藤川は高寺や豊田、熊谷、前川など若い選手をうまく使っています。ひょっとすると名将になるかもしれないと思ってきました。

