人は見たいように見る

 

というのは、かの有名な

ジュリアス・シーザーのフレーズ(の翻訳)

 

見ている情報は、

見たいように見ている情報だし

 

聞いている話は、

聞きたいように聞いている話だし

 

感じている感覚は、

感じたいように感じている感覚。

 

■その現実、本当に現実?!

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例えば、

自分がガンであることが発覚した時。

 

いきいきと生きてる人の話

残念ながら亡くなられた方の話

あるいは

闘病に苦しんでいる人の話

 

どっちかを取りに行きませんでした?!

意識的ではないにしろ、

どっちかに傾倒して

情報を得てませんでしたか?!

 

仮に、闘病に苦しんでる人の話こまる

をほしがっている場合・・・

 

いきいきと生きている人の話キラキラ」は

例外として処理して、

苦しい話、つらい話、かわいそうな話…

こぞって、選って、仕入れてない?!

 

公正平等、中立的な視点で、

物事を見たと言えますでしょうか??

 

 

■見たいように見てると自覚する

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言いたいことは、

中立的な視点で物事を捉えろ

というわけではなく。。。

 

偏った情報の仕入れ方をしときながら、

中立的な仕入れをしたと思うな!!

ということです。

 

その情報、自分で取りにいってます。

 

新しい情報を取りに行ったように見えても、

自分が「ほら、やっぱりそうでしょ?!

確認するためだけの情報だったりします。

 

 

■願望ではなくて、予想で見てる

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この場合、

「こうであって欲しいな」という望み

ではなく、

「こうなんだろうな」という予想

で、情報を取りに行ってる。

 

抗がん剤は苦しいものだろうな吐きwww

という予想をしている場合。

 

「抗がん剤苦しくないといいな点滴

と望みながらも、知らず知らず、

「抗がん剤が苦しい」という情報を

求めてネットの波の中で波乗りサーフィン

 

■人生もなりたいようになるとしたら

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ココからは仮説。

 

情報に関して、

自分が見たいように見る

という話をしたのだけど。

 

人生も見たいように見れる

つまり、そうなりたいようになる

のならば。。。

 

「こうなりたいな」の希望ではなく

「こうなんだろうな」と予想した人生

自分の人生になるように

なっているのだとすれば。。。

 

自分のなりたい人生を

予想すること!

なりたい人生を

自分で取りに行くこと!

 

が大事なのではないかなビックリ

と、思いました。

 

 

 

 

過去の記事。

人生論考シリーズも宜しく(Θ_Θ)よろしく

○人生を最加速させる!〜行動力が人生を動かす〜

○〈続〉人生を最加速する。人生密度を上げることについて☆

○今ここにいること、今ここで生きてること。

○私は私の必要な分の長さを生きる!