私たちは、良い行いをし良い人間にならなければならないと思い込んでいると気付きました。何故か自分自身は良くないもの、劣っているものだという前提から考えが発生していると。

よって自然と、劣っている=悪い。足りていない、だから努力して自分を正して、善を目指す形となってしまっていると感じます。


でも私たちは愛の存在だと理解すると、

この前提が愛にかわり、

私たちは、元々が愛の存在なのだから、

良い行いや良い人間を目指す必要がなくなります。だって初めから愛の存在なのだから。


悪いが前提だと、良くなる為、善になる為にジャッジが生まれ争いや混沌の原因となります。

愛が前提だとジャッジがなくなります。全員が愛だとジャッジの仕様がないから、

そもそも愛しかないので比べる必要がないと感じます。


「自分自身を愛しなさい」と言う教えから、

いつの間にか「良い人間になりなさい。」

という教えにすり替わっていたのではないか??と感じます。

一見 「良い人間になりなさい。」という教えは素晴らしく、正しいように感じますが、自分自身が何か劣っている存在だという前提になってしまっていると思います。

これがなにかずっと長年に渡り人々の自信を無くさせ自分自身を信じることができない愛することができない原因になっているのではと感じました。


この良い人間になる為に、、の思い込みの連鎖のエネルギーが争いやカルマ、先祖代々の因縁や、人間の様々な問題(戦争、競争、嫉妬、見栄、嘘、偽装etc)と思える事を引き起こしているのではと感じました。

そもそもが皆、愛の存在なのだからそれ以上のものになる必要がない。他人と比べる必要がないと感じます。


まずは、自分自身が愛の存在だと知る(思い出す)ことが先決です。

そして良い人間になる必要はなく、ありのまま、もう自分は既にすばらしい存在だと気付き、自分に自信を取り戻してほしいと思います。


自分が愛の存在だと理解するには、自分を愛することから始まります。

自分を愛するとは、自分がこころから純粋にやりたいことを自分に素直になって自分を信じてやっていく事です。


「愛」って、、そんなぶっ飛んだ、、、あるかどうかも分からない曖昧な事を言われても、、、うさんくさい、、根拠がない話だと思うかもしれませんが、、不思議なことに自分自身と向き合う事で皆、愛にたどり着くようになっていると感じます。

そして、自分に素直になると自然と調和のとれた愛のある行動に繋がって行くようです。