身近に、長年ゴミ拾いを続けている方がいます。
その素晴らしい姿勢を尊敬する一方で、私は「自分にはできない」と感じていました。
なぜなら、自分がやると「偽善」や「神頼み」のように思えてしまうから。
純粋な気持ちで社会貢献ができるほどの精神レベルに自分が達していないと感じていました。
と並行して
「自分の思い癖など行動パターンこのような精神的な今のレールから抜け出さなければ、この先も同じような行動しかできず苦しみから抜け出せない」というモヤモヤを抱えていました。
しかし、現状打破のための具体的な方法はわかりませんでした。
そんな中で腑に落ちたのが、苫米地英人博士の提唱する理論でした。
「自分のコンフォートゾーン(現状の快適な領域)を抜けるには、自分から最も離れた場所にいる他者のために行動することが効果的である」
という視点です。
これを聴いたとき、「ゴミ拾い」という行為の本質が見えたような気がしました。
それは初めは偽善から始まった人もいるかもしれませんが結果として、自ら敷いたレールを打破し、新しいレールへ移行するための極めて合理的なアプローチだったのだ、と。
この世界の仕組みがどうやら「愛」をベースに作られているのだとしたら、すべてに合点が行くなぁと思いました。
わからないけどどうやら?こういった仕組みになっているのだと分かると、神仏に助けてもらえる、認められたいというような、すがるようなむず痒い心理的抵抗感はなくなりました。
ゴミ拾いに限らず、利他の精神で行動を起こしたとき、自分自身の内面にどのような変化が訪れるのか、、、初めは苦しいかもしれませんが全てにおいて合理的だと思いました。
苦しみがあってもこの場合、自分の為だと納得してるので自己犠牲とはなりませんしね。。

結局やっぱり利他かぁ。しょうがないけどやってみるか。。。てなりますね。。。