とても嬉しいから書こうともった。

スウェーデンボルグ先生の本を久しぶりに読み返していると、まるで宝石のような輝きを感じた。

 

     ・・・・・・・・・

>>前置き

 

先生は、本当にすごかったんだ。びっくりした。

自分は、ついこの間まで、本当は怖かったんだ。先生が、結構人間的な俗人だったらどうしようかとか・・自分は、先生に気に入られない存在じゃないかとか。

 

よかったぁ。先生は、こんなに素晴らしい人だったんだ。

圧倒してるじゃないか。美しく、孤高に輝いていたんだ。

 

     ・・・・・・・・

 

霊(spirit) の領域では、距離は問題にないことについて、先生は自分の言葉で、このように説明している。

 

私は霊たちとこのことについてしばしば話した。その時私は、これを人間の視覚を例にとって実証したものだ。人間の視覚は、太陽、月、星のような非常に遠方の対象を、遠方にない対象として見ているからである。・・・ (霊界日記)

 

 

道元君の、純化されていない、日本人的な神を排した、イデオロギー的な説明と全然ちゃう。

 

「心不可得」「心とは、山や河や大地であるし、太陽や月や星々である」「心の月は単独で円い。心の月の光は森羅万象を飲み込む。心の月の光は知覚の対象を照らすわけではない。また、知覚の対象は存在するわけではない。心の月の光も、知覚の対象も、共に、無い。」(道元君、正法眼蔵)

 

 

人は太陽を、↓ こんなふうに見てはいない。

 

太陽の半径は約70 kmで直径約140万 kmとなり地球の直径の約109倍の大きさである。とか、地球から太陽までの平均距離は約1億4960万 km(約8光分19光秒)である。・・・

 

 

 

人は、もっと、本質的な(霊的な)何かを先に感じてるんだ。霊(内なる視覚)が先だってことを、先生は端的に、説明してるんだ。

 

幸運にも、自分は、許された体験がある。

 

もっと、もっと、意識しよう。内なる感覚を!!

もっと、確信をもって、もっと、自信をもって、もっと、追求しよう!!

 

あなたの意識の中に沈みたい。

 

 

霊と魂の違いについて。

 

故人なんであんまし言いたくないけど、(「シルバーバーチの霊訓10」7章)そもそも近藤千雄氏の翻訳が間違ってるというか、勝手に意訳してるので、二重の間違いが、普及会傘下の読書会でなされてるようだ。

 

  原文

What is the difference between soul and spirit?

I do not care what names you give to things. I did not make your dictionaries. The soul, to me, is the Great Spirit within. The spirit is the body through which it expresses itself.

Teachings of Silver Birch edited by A.W.Austen, Psychic Press Ltd, London, 1991,pp.206-207

 

 

        (「シルバーバーチの霊訓10」7章)

 

     違う意味になった翻訳

 

「問題は用語にあります。言語を超えたものを説明するための用語を見つけなければならないので厄介なのです。

 魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性ということにしましょう。そして霊とはその魂の媒質です。

 

     ・・・・・・・

 

 >>魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性

 

 とかバーチは言ってないし。てか全然違う意味になるし。流出説とかの哲学ごっこしてんのかね?

   

   >> The soul is the Great Spirit within.

     ↑ この意味がまったく理解できないどころか反対に考えるんだ。

       

    

   例えば、神を太陽に例えると、

   満たされた水桶に反射する、太陽。

  

   ↑ 自己の宗教体験から、soul(神性) のその機微をこのように表現して異端視迫害された古の霊覚者がいたんだ。

 

   シルバーバーチが凄すぎるのは、そういうの踏まえてるってこと。

 

  私は、もう、その覚者のことを思うと、人間ができてないんで黙ってられん! 日本教徒バーチ派はいつも暗黒教会側にアシストするはなぜ?

   

   大霊から出た じゃなくて、大霊そのもの。

  大霊そのもの って 意味を 追求していくのが、バーチ。

 
    

   ついでに、分子、粒子ってなんじゃらほい??

    事象をそのまま真実と考えたがる日本教観?

 

  

    日本教徒、シルバーバーチ派の普及会諸君。

    神を可分に考えるんじゃねー!!!!!

    切り分けんじゃねー!!!!!

 

         シルババーチを宗教から、倫理道徳に引きづずり落とさないで。

 

 

   

 

   

 

小中学校の、一つ年上の友達たちと、超久しぶりに飲み会することになった。卒業以来、全くと言っていいほど会っていない。

 

で、自分は、その中の一人に、以前からもう一度会いたいなぁと思っていた。今は、自衛官なんだけど、超個性的でターザンみたいな男だ。ターザンでも盆になったら帰って来る。

 

一回だけ、20歳くらいの時に、そのターザンに会った。地元のバレーボールのサークルで。そんとき、ターザンは、自分に、鮮烈な印象を刻みこんだ。

 

充実してるというか、その強さ。楽しいというか、その強さ。真っ赤赤だった。

 

だから、年を経て、もういちど、その鮮烈さに会いたいと思っていたんだ。それが何だったのか。

 

 

        ・・・・

 

自分には、超自慢することがある。

(今や、中国人なら誰でも知ってる国民的な俳優)

 

本人にも自慢したけど、自分は、中国共産党よりも先に、呉軍の笑顔に何かを見つけた男だ。

 

なんていううか、悪ガキが、先生に叱られたときにシュンとしている顔(笑) 孫悟空。 

 

呉軍と自分は容姿もそっくりで、兄弟だろって呉軍と同じクラスの他の女優からも云われていて、実際、自分は兄のように懐いていた。そして呉軍は、その自分に誠実に応えてくれた。

 

   呉軍は、分かりやすい答え合わせだけど、それに似たような話はたくさんあるわけで・・

 

 

  たとえば、日本で、呉軍そっくりな人がいて、会った瞬間、自分は懐いて、意気投合して、飲んで、歩いて、その人の家行って、谷川俊太郎の、嘘とか云う詩を 見せられて、お前分かるかーみたいな話さてて。折れは、彼女からね”でもね””でもね”ってすぐ言うと怒られるとか言ってて。

でもその人はその日がその場所のほぼ最期の日で、引っ越しの準備してて、もっと早く知りあえばよかったなぁ。みたいな話して。

 

或る日、そこまで言って委員会をみてたら、呉軍そっくりの顔があって、どっかで見た顔じゃと思った。今じゃ、有名大学の副学長してる。

 

   別に、無名でも有名でも関係ないけど。もっと濃いー出会いも、たくさんある。

      

      ・・・・・・・・・・・・

 

 要するに、自分は、自分の感性に自信がある。

      てか、霊体験してるしw

 

  で、話戻って、

 

自分は、その日の夜。ターザンの中にある、見つけた輝きにフォーカスしていたんだ。

 

 そうしたら、胸がどんどん熱くなってきて。 忘れてた感覚がどんどん蘇ってきて・・・面倒なんで、胸のチャクラと以下表現するけど、いつも以上に回ってますみたいな。いてーし。病気かよくらいに。

   

       チャクラが燃えてきた。

 

  なんで、その燃えにフォーカスするじゃん。そこで感じるじゃん。

 

      そしたら色んなことが分かった。

 

 自分が、ターザンの中に見つけていたものは、神の輝き。

 神の純粋性を求めてたんだ。純粋な光。

 

    比喩じゃなくて、強い、太陽の輝きそのもの。       

    光に生命を感じる。光に、生命をみつけた。

    

   これ、比喩じゃなんだよね。生命なんだ。生きてるんだ太陽の光。

 

      初めて顕在意識で確信したぜ!

 

  

   自分は、愛してたんだ。太陽を!!!!!

        すげーエネルギー

 

   光って、こんなに美しいんだみたいな。夜だけど。

 

   まじで、美しい異性とかの輝きとか、全く問題にならん。次元が違う。

 

  あの強い輝きそのものの中にある純粋さ、見つけてたし、愛してたんだ。こんなに愛してたんだ。

  

  自分の発してた、なんていううか、エネルギー!?に包まって。

 

  まあ、愛っていうけど、いろんなレベルがあると思うけど、自分のそれは、なんていううか、子供のそれw

 

   一緒に遊ぼーみたいなw ガキ特有の疑いのないそれ。

 

  こういう風に、自分は神を求めてたんだみたいな。甘えてたんだみたいな。愛してたんだみたいな。

 

        友なる神!!! 

 

  初めて、はっきり、確信した、友なる神!!!!

 

       友なる神 !!!!!

 

         強烈な光。

     

     で、過去の体験がよみがえった。

 

   こんなに純粋に愛してたなら、太陽だって応えてくれるだろー って。 すげー。 こんなに純粋にあなたを 好きィ― って 人そんなにいないだろ。只の火球にw

 

         神だって。

 

 

 おれ、スウェーデンボルグ先生を、こんなに愛してたんだって。こんなに先生が好きだったんだと。会った事ないのに。もう疑いもなく、応えてくれるだろー みたいな。

 

 

  そーいや、思い出しケド、ある日めざめる時に、まじで、 

ファンタジー映画の中の女神のような、外人の美しい女の声が耳元でささやいていて。

 

    アンドリュージャクソンウォール

    アンドリュージャクソンウォール

    アンドリュージャクソンウォール

 

         何度も。

 

    アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス

 

     ↑ スウェーデンボルグ繋がり?

 

 

    ・・・・・・・・・・・・

 

 んで、自分は、今まで愛されてたんだって 分かって。この光の恩恵として。

  

   なのに、超構ってくれた、中国の歌手に最後、冷たくして申し訳なかったなって。

   

        ・・・・・・

 

  そんで、更に、更に、いま、丁度、電話かかって来て。   

   マザーテレサと一緒にインドで仕事してた人から。

 

 

   世の中に、ラッキーとういうことは無いと。

 

     マザーテレサが言いました。

 世の中に、ラッキーとういうことは無いと。

 人はよく、ラッキーていうけど、そうじゃない。必然。その必要があったんだ。神に感謝しなさいって。

 

        直に聞いたって。

   

     そのエピソード。 その話は、別に譲ろう。

 

  折れ、マザーテレサ大好きなんだ。

 

  好きって言ったけど、一直線の道じゃないんだ。いろんな疑いや葛藤を乗り越えての、好きーなんだ。インド鉄道の窓から、マザー関係の写真、書類投げすてたこともある。サヨナラマザーテレサみたいな。

 

  シスターセレスティンの中にも見つけたマザーテレサ。純真さ。

 

   ・・・・・・

 

 話きりがねー。

 

で、内的な感覚もすすんだー。

 

チャクラの燃え、ぎゅー、ぎゅー、なんで、かわすために、その意識を体の外に置いてたけど、ぎゅーの中に、愛の意識、自分の意識、自分そのものを見つけたんで。その中に入れる。

 

まあこれからだね。

 

そーいや、忘れてたけど、数か月前に久しぶりに心霊体験をした。

 

寝てたら、霊が、俺の布団をめくって入ってきた。

壁側の狭いとこから来た。

布団をめくって、俺の横に添い寝して、段々消えた。

 

体験した人わかると思うけど、肉感というか、リアル感がたまんないよねー

 

けどだれか分からないんだ。例えるならば、ひとの形した水人形みたいにしか認識できない。顔、性別不明、体温なし。

 

あと、心霊体験は何回か体験すると、慣れるよね。

 

神秘主義的な体験(霊体験)と違って、感どーがないから、気にしなくなるね。忘れちゃうね。

老子の、人間万事塞翁が馬について、分かっていなかった。

 

人間吉凶禍福は、転変きわまりがないこと、ひいては

取り越し苦労しなさんなって「上手い例え」だなって程度に思ってた。

 

違うんだよ。重要なのはそこではなかった。

 

大切なのは、その背後に、”道”があるからってことだったんだ。

 

      そして道を信頼する、委ねる

 

漢訳仏典では、釈迦のダルマを”道”と翻訳したものがある。

 

ダルマ=人間の従うべき理法

もっとえいば、人間が誤魔化すことができない意識の本質。

→ 中庸=バランスが働くんで

 ものごとは心にもとづき、心を主とし、 心によってつくり出される。

  

  

   なんだけども、老荘は別のニュアンスから語ってたんだ。

 

      自ずから ・ 自然(natural law)

  

道=スウェーデンボルグ先生のいうところ、天の理。ロゴス。

  

シルバーバーチの霊訓でいうところの、natural lawの重要な一側面を自分の言葉で語ってたんだ。

  

 

   ・・・・・・・・・・

 

 

因みに、スピリチュアリズム普及会は、natural lawを、”自然法則” と説明している。

   

      不・不・不 ~

  

  自然法則と言う場合、law of nature になっちゃうんだけど、この場合のnature って、人間が征服する対象としてのニュアンスなんだよな。

 

>> 川崎謙によると、東洋の歴史で自然に数理的法則を見出す考え方が生まれず、それに対して西洋の歴史においてガリレオらによって自然の中に意図的に数理的法則(自然法則)を見出そうとする近代科学が生まれることになったのは、東洋と西洋では自然観が全く異なっていたこと、別の言い方をすると「nature」と「自然」の用法や概念が全然違っていたことによる[3]、とのことである (wiki)

 

 

普及会はいつもいつも、シルバーバーチの霊訓を日本人にしか通用しない、日本教に変換してしまうんだ(汗)。

 

なんでそうなっちゃうかというと、霊体験(神秘主義的)をしてないから。超えられないんだね。環境からの刷り込みから、普遍的な概念へと。

 

 

だから、全然ニュアンが違うんだ。

日本人ってのは、「理」と「事」の区別が苦手なんだ。

理をば、「事」に引きズり落として理解しようとするんだ。

「事」をいくらなぞっても、決して「理」に辿り着くことはないんだけど。

 

    そもそも理の存在を否定したがる。

  

日本人特有の、現世中心主義的な思惟方法なのでしかアクセスできないんだ。だ・か・ら 自然科学が得意。効率主義に隷属しやすい。

 

 中国語の「理屈(lĭqī)」の意味は
「筋が通らない、道理に合わない」です
「理が折れてしまう」なのですから
なるほど、その通りです。
むしろ、日本語の「理屈」の本義が
「物事の筋道。道理」(goo国語辞典より)

 

 

あと、「気」の意味だって、日本人は、気合い・根性に引きづりおとして理解しようとするんだ。

 

アニマル浜口 の気合だ 気合いだ!

でしかないんだ。

 

 

気とは「現象を現象たらしめているゆえんの道理で、現象に即して存するもの」

 

  ↑ 中国人はこう説明してるのに・・

 

 なんなら、もっとオカルト的なものなんだよなぁ!

 

 まあ、そのnatural law って言葉も合理主義的な意味合いで使用されてきたんで、近頃ではあんまし使用しないようになってきてるって、英語が得意な友達の大学教授が言ってたけど、本当かどうかは知らん。

 

 

 しかし、シルバーバーチは、natural law と言った。

   

 

      ・・・・・・・・

 

鈴木大拙君なんかも、西洋は初めに神あり なんて説明してるけど、

 

     そーじゃない。

 

はじめにロゴス(言葉)あり(創世記だっけ?) なんだよね。

 

で、そのロゴスとはなんだぞというのを

 

スウェーデンボルグ先生は

 

「天の理」と 説明してたんだよ。

背後に、叡智・愛がある って説明は西洋ぽいんだけど、

 

稀代の霊能者スウェーデンボルグ先生は、

 

老荘のいうところの、自ずから って ニュアンで説明してたつてこと。

 

   人間が、本質的にどこかで分ってる真理!!!!

   そこに波長を合わせるって!!!! 

   完璧な自分って。

 

 

これって、すげー実践的なニュアンスを教えてくれていたんだ。先生は凄すぎる。

 

この感動をもっと語りたいけどね。この辺で。

 

 

 

 

 

 自分は、話になってなかった!

 

スウェーデンボルグ先生がいかに偉大であったか、同時に、自分は全然話になってなかったのか、ふと理解した。

 

先生が云うところ”天の理”について。

原文(スウェーデン語!?)”天の理”がどのような言葉で記されているかは知らないけど。

 

”天の理”を、宇宙創造の根本原理であるとか、種 であるとか、東洋でいうところの天命の考えを参考に説明していることからして、ストーンと落ちたんだけど・・

 

西洋の覚者たちが、どうしても”義務”という側面から霊的な意識を説明しているのと、全然違ってる!?

 

 

東洋でいうところ、老荘でいうところの

 

自ずから(霊魂を否定する日本の禅の自ずからとは違う) じゃないのか?

 

 

原文ではもしかして、ロゴス(種)とされているのか?

そうでなくとしても、ニュアンスとしては、

 

完璧な摂理。ゆえに、人間サイドから見ると・・・

 

 

また、その身体の行為の報いに執着するか、あるいはそれから離れ、身体の活動の単なる目撃者になるか、という選択の自由だけを持っているのである。(ラマナ)

 

  ↑ 神秘主義的な体験をした人が、このように説明したくなる体感のもの。

 

       ・・・・・・・・・・・・

   

「ありとあらゆることは、一切合財、みんな神がなさるのだ、という知恵がもてたら、この身のままで解脱できるよ____ 木の葉一枚だって神の意志がないと動かない、と。自由意志なんて何処にある?」

 

     ・・・・・・・・・・・・

 

「ほかに仕様がないじゃないか!神の力の前で、人間に何ができる?」

 

      ・・・・・・・・・・・・

 

鍋で料理する。ジャガイモやナスビなんかも米に混ぜてある。しばらくして火が通ってくると、イモ、ナス、米、みんな、跳ね上りだす。すると、そいつらは己惚れて、「私は動いている!私は動いている!」と思う。小さな子供はそれを見て、イモやナスや米は生きているからあんなふうに飛び上がっているんだ、、と思う。__________  燃えている薪をとってしまえば、何もかも黙る。あやつり人形は人形使いの手であやつられて、見事に踊っているが、手から離れると、もうちっとも動かない!

 

    ↑ こういうかんじ?

 

 

     ・・・・・・・・

 

神を見ないうちは、あの知恵の宝玉に触らぬうちは、自分が行為者だと錯覚しているんだよ。私は善いことをしている、私は悪い事をしている__こんな差別な感じがするんだ。この差別感がつまり、あの御方の創造現象(マーヤ)なんだ。マーヤの世界で暮らすために与えてくだすったものなんだよ。

 

 

 ↑ ここで説明されている人達を、低い天国の住民とせつめいしていて・・・ ストンときて、あれれになった。

 

 

 スウェーデンボルグ先生 は、”天の理”で説明しているところのものを、霊的な意識として みつけた具体的なものとして 合わせていたんだ!!!!!!!

 

嗚呼、霊的な意識とは、自分がどうしたいかではなく、自我の滅却そのものからこそ、人間が本来的に知っているところの意識そのものに合わせようと 説明してたんだぁあああ。

 

    道具理論だってそうだったんだ。

    霊的意識とは、そういうものだったんだ!!!

 

スウェーデンボルグ先生は、生きた言葉をしゃべってたんだ。霊能者としての具体的な意識の使用法をしゃべってたんだ。

 

       先生は生きてたんだ!!

 

 こんなに親近感がわいてくる。会いたい。会えそう。死者じゃない。先生は生きてる。

 

   

   自分は、なんもわかってなかった!!

 

 

 

   先生が会得した 死の技術とは ↓こういう奴

  レベチ。このヨガスターが、虚血性心不全で死去したのは、このような瞑想中。そういうことだ。

  

 

 

 

自分は、神を信頼していなかった。存在を楽しんでるだけで、信頼はしてなかったのだ。

 

    ・・・・・・・・・

 

マザーテレサ曰く、

 

将来何をするかではなく、今していることに愛を尽くしているかが問題

 

ってのは、神の完璧性にたいする信頼が大前提なのだ。

神の計画が完璧が故に、未来とは現在まさに発現されているところの、時間を超えた、永遠不変の摂理(神)が具現化したもの。と言っていたんだね。そのためには、神を信頼して、己れを捨てて、まるで高所から飛び降りるように真理に委ねよって・・

 

 

わからなかった。

 

   

    ・・・・・・・・・・

  

バガバッドギータ曰く、

 

戦士アルジュナが戦場で言った。

「私は戦えません。同族を殺すことはできません。」

すると、聖クリシュナは、こう言った。

「アルジュナよ、戦え。戦うのがお前の持って生まれた運命なのだ。」と。そして戦士が累々と横たわっている戦場の有様を透視させてくだすった。

 

↑ これも、アートマンに対する信頼が大前提だからこそ、人生をまるでお芝居の役にすぎないかのように説明するのだ。

 

己をすてて、親愛に基づいた行為を尽くせって・・

 

 

摂理の完璧性故に、人間には自由意志がなく

結果ではなく、行為(親愛に基づく信仰)そのものが、そこで尽くされた親愛(真理をそのように表現)が、”未来”であると言ってるんだ。

 

神は信愛なりといってたんだね。

 

また、その身体の行為の報いに執着するか、あるいはそれから離れ、身体の活動の単なる目撃者になるか、という選択の自由だけを持っているのである。(ラマナ)

 

なんて説明するのだ。

 

勿論、釈迦も、自己(アートマン)を尋ねよと言っている。

 

 

     ・・・・・・・・・・

 

ついでにいえば、

 

日本の 今・ここ・わたし 今に生きる、今この瞬間

 

 アートマン 神の否定 と 親和性

 

↑ 背後にある理法ではなくて、事象をそのまま真実と考えるので、与えられた中でできるだけ楽しむ、純粋意識の否定、人生に意味はないただ生きるのみ、だって仕方ないじゃん。これでいいのだ、ありのまま、なんて考えたがるのだ。

 

非信仰的な態度で、深刻な思惟を避けるために、考えない様にするために、自我意識を放棄して、生きて行こうとするんだね。事なかれ主義。だから幸田露伴は、日本人は強いものに弱く、弱い者につよいなんて言ったんだ。論理的だね。うわー

 

 アートマン(内在する神性)を否定し、自己とは、二元論でいうところの、単なる被造物にすぎない(目的なんてないんだ)との理解を悟りと呼び、現在の連続が、未来であるなんていうのが、日本の禅をはじめとした、現世中心主義と呼ばれる精神文化である。

 

 

 

  釈迦が尋ねよと言った自己(アートマン)を否定して、物質的なありのままの自己(欲望も)を追認しようとする、正反対の解釈。(だから日本では律宗は根付かなかった。)

 

  日本教徒ダニ。

   

 

  ・・・・・・・・・・

 

 

 神(真理)を信頼するからこそ、委ねるからこそ、自我の滅却が要求されるんだね。

 

 

 

 

   ↑ マザーテレサのこの語り口調は、自我をできるだけ放棄し、神の意思(真理)の道具たらんとするものだったんだね。

 

        

 

  むむむ、だからこそ、イエスは自ら十字架を担いだんだ。

 

      なんじゃそれ!!!!!

    

 

     ・・・・・・・・・

 

   だから シルバーバーチは、取り越し苦労するな 

   それ自体がマイナスになると説明してるんだね。

 

   真理を受け入れたものは、取り越し苦労をしないのは

   神を信頼してるからだ。

 

       そのこと自体が霊力であり、永遠たる真理の発揮であり、時間を超えた未来だってことなんだ。

   

 

 

   ・・・・・・

 

 

    むむむ・・ 痛いな 

    むむむ・・ 駄目だこりゃ

    むむむ・・ 穴が在ったら入りたい  

    むむむ・・ もうやめて

    むむむ・・ 瞑想方法とかもこれに尽きるってことは

 

         駄目だコリャ

 

 

 

       なんて近頃考えてました。

 

       ・・・・・

  追伸

 

   疲れたので、FBで最近いろんな人と話してます。

   真理探究が好きな方は気軽にメッセください。

 

 

 

ちょこっと加筆したので再アップ

  

普及会の神観って突っ込みどころ満載なんでつい・・ 追求してしまうんだけど。

 

 

  • 2)神は人間をはじめとする被造物を、自らに似せて創造された。そのため被造物は、神と同じ要素を有している
  • 4)神は人間にとって「霊的な親」である

  

 

  

   人間と、それ以外の被造物を同一にしてるゾォ・・ (論点に気づいてなくあくまで、神を白いひげのお爺さんのように連想してるうようだ)

 

 

 

    ””似せて創造された”” と云うけれど、

 

 

(問い)

   具体的にどこを似せて造ったの? (もち、似せては聖書からの引用なんだけど)

 

 「さあ人を造ろう。我々のかたちとして、我々に似せて、、」(創世記1章26節)

( まさか、粘土細工を想像して”似せて”とわざわざ云ってるわけないっしょ!)

 

(答え) 

    soul    

 

   ミニチュアの神とはsoulのこと。

 

The soul, to me, is the Great Spirit within.

(私にとっては、魂とは内在する神のこと)

Teachings of Silver Birch edited by A.W.Austen, Psychic Press Ltd, London, 1991,pp.206-207

    ↑ 表現が、ドイツmysticism そのもの。

 

 シルバーバーチが、こういった素養のある文化圏の人に向けて語ってることは明らか。

 

     なんのことか分からないだろうけど

 

 

バーチは、霊と魂を意図的に区別していて、後者の領域においてmysticismを展開してるって話。

 

  霊の領域と、魂の領域で語ってることが・・違う。

  (普及会は、霊と魂とを区別せずに同じと言い切っているレベル

 

 日本教徒シルバーバーチ派のスピリチュアリズム普及会には全く理解できない。(分かる人は最初から分るし、分からない人はずっと分からない。だから迫害の対象だったんだよ。宗教団体の秩序が崩れるからね。)

 

   

 mysticism的な宗教体験(霊体験)をしてないので、たぶん何万回本読んでもわからない。本当にわかんねーんだぁって、僕驚く。そんなに壁があるんだぁって。(わからないってことは、わかるってことも、わからないってことも、わからないんだね。

 

 

 ↓ 日本人としての環境からの刷り込みから出られない

  

 山本七平は『日本人とユダヤ人』で日本人は自分が日本教徒であるという自覚を持っていないが、日本教という宗教が存在し、それは血肉として日本人自身も自覚しないほどになっているので、日本教徒の日本人を他の宗教に改宗させることが可能であると考えるのは「正気の沙汰ではない」という

    

   

 それどころか、The soul is the Great Spirit within.と発言したお人を迫害した、あの火刑大好き暗黒時代の教会と同じ立場にたっているんだよ。普及会曰くイエスが降臨したらしいけど・・

 

    

  ライトに話してるので省くケど、二元論の壁を破ろうとする考え方があるの。 

 ↑バーチが驚きなのは、教会が汎神論の名の下に異端視、迫害してきた、教神秘主義思想を見事に踏まえて説明してるってこと。自分の言葉で説明しているんだよね。

 

 バーチは、”自我性” ”私”の本質(非我)を、徹底的に(かなりこだわって) 霊(spirit)ではなく魂(soul) と している。

  

         ・・・・・・・・・・

 

 

 あなた方が 幽体のまま遥か遠くの国へ旅するとき、魂はどこにあるといえるでしょうか。

When you travel in your spirit body to a far-off country, where is your soul?

 

Teachings of Silver Birch edited by A.W.Austen, Psychic Press Ltd, London, 1991,p.206

 

    ↑ これって結構強烈

 

 

 さらに その魂について・・

 

The soul fills all space. It is consciousness.

魂はあらゆる空間に満ちて存在しています。魂とは意識 です。

 ↑(こここそ、釈迦を始めとしたインド神秘主義の真骨頂なんだけど今回はパス

      

      としながら、意識とは・・

 

It is the balance which enables you to understand that the scale is weighed down on either side.

意識とは、正邪を見分ける魂の一部です。天秤がどちらに傾くかを教えてくれる標 準器のようなものです。指標といっていいでしょう。

 

 

    意識とはbalance ・・・ 

 

     ↑ 古の覚者がいうところの、意識の原型にあたる表現だね。(中庸と云った覚者もいたね)

 

フランス語でもスペイン語でもイタリア語でも、「良心」という言葉と「意識」という言葉とは同じなんだって。スゲーね。)

 

 

     これを、キリスト教で深めれれば(その意識の中核ってんなんだって話)、ペルゾーンになる。 ↓  こんな風に・・

 

 「たしかに「人格」はペルゾーンであるが、ペルゾーンはすべて「人格」であるとはいえないと。というのは、人格だけがペルゾーンであるのではなくて、神もまたペルゾーンである。したがってペルゾーンは、神にも人間にも通じるもっと広い概念であるといわなければならない。

  山田晶『アウグスティヌス講話』

 

 

 

 ↑ けど、バーチが否定するところの、三位一体論のような神学になってしまうので、”神に似せて” と聖書を引用しながらも、深入りしていないところが興味深い。

 

       ついでにこういうのも・・

 

 良心! 良心! 神聖な本能、不滅の天の声、無知で  有限で. はあるが、知性 .. .『エミール』 

    

      ・・・・・・・

 

        

 

  意識とは、正邪を見分ける魂の一部です。天秤がどちらに傾くかを教えてくれる標 準器のようなものです。人間の魂の指標といっていいでしょう。

 

 ↑ インド的に云えば、これ、ダルマ(人間が従うべき理法)そのもじゃん。ダルマ=魂の働き=内在する神性  

 

「この世で自ら(アートマン)を島とし、自らを拠(よ)り所(どころ)として、他人をたよりとせず、法(ダルマ)を島とし、法を拠り所として、他を拠り所としてはならない ... (釈迦)

 

 アートマン(宗教的体験やそれを契機に開発された霊的な感覚)を楽しむことに主眼があったバラモン教を諫め、人間の本質(アートマンの本質)はダルマであるとし、ダルマに従えと、当時としては新しかった教えを説いた釈迦を、霊的盲人とか、神を否定しているとかいう普及会ってどんな理解なん? (霊体験してないのバレバレじゃん)

  

    

 ↑釈迦は、神秘主義的な宗教体験でこれ(意識の原型)と一つになった。

 

 ↓自我性の本質はブラフマン(梵天)と一元の意識だと、神秘主義的な宗教体験(悟り)をしたからこそ、こんなことを言ったんだ。

 

 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。(釈迦

  

    

     balance は、中庸ともいえるね。

    

  修行に失敗しガリガリ君だった釈迦が、mysticism的な体験を果たす直前に、スジャータ村でピーンと来たものだね。

  

『琵琶の弦は張りすぎると切れてしまいます。緩みすぎていれば、いい音は出ません。中くらいに締めるのがちょうどいいのです』( スジャータから諭されて、ピーンと来たんだと思う)

 

 

    

    

  

  (その場所から、菩提樹の場所まで河を挟んでこんなに近い。人間釈迦の生き生きとした物語。)

    

 

 

 もともとは良心も、中庸も、同じ意識の原型についての説明だったんだね。

 

         良心=中庸

 

    さらっと意識とは balance と語る、シルバーバーチってすげーっしょ? 

 

        ・・・・

 

 で、自我意識から観て、the balance が 誘う・示す先はどこ?って話で。

 

 

     ヒンドゥー神秘主義でいう、

 

  アートマン=ブラフマン じゃん!!

  ていううか不二一元論を更に深めてるし。

 

 云うならば、ラマナ・マハルシの云う

 

      最初の私 じゃん!

 

問 神は人格的なものでしょうか?

ラマナ・マハリシ 

そうだ。彼はつねに最初の人であり、あなたの前につねに立っている「私」である。あなたが世俗のものごとを優先するので、神は背後に隠れているように見える。あなたが他のすべてのものをあきらめ、彼のみを見るならば、ただ彼だけが「私」として、自己として残るだろう。

 

 

 ↑ この 人格という、ヒンディー語が何か知りませんので、翻訳者の福間巌氏にまたいつかインドで会ったら聞いてみたい。鈴木尚志氏が元気だったらなぁ

  

    更に、マザーテレサも同じこと云ってる。

 

  

  ごらん、私は戸口に立って叩いている(黙3:20)

 

ほんとうに、私はあなたの心の戸口に立って、昼も夜も叩いています。あなたが心を開いていない時も、たとえ聞いても叩いているのは私ではないだろ疑っている時でさえ、私はそこにいるのです。私はあなたが応えようとしているのではないかと、気配に耳をすまし聞き逃すまいとしています。

 

あなたが心の扉をひらく時、そして充分に私の身直に来るとき、あなたは私がただの言葉ではなく、魂で語りかけるのを聞くでしょう。今まであなたがどんなことをしたとしても、あなたであるが故に愛します。あなたの惨めさも罪もすべて持ったまま、私のとこにいらっしゃい。あなたの悩みや欠点、そして愛されたい望みなどを全て持って・・・ 

 

私はあなたの心の戸口にたって叩いています・・・

 

  カトリック神秘主義、普及会が心の闇と吐き捨てた、マザーテレサの宗教的体験の神髄と同じじゃん!

 

   >>魂で語りかけるのを聞くでしょう。

    ↑ 迫ってくるんよ。強烈なんだよ。 

 私は、マザーテレサの弟子に接することで、言葉を超えて、シスターの中にまだ生きているマザーテレサにインドで触れた!それがどのようなものかを。私が懐いていた、いつも温厚なシスターセレスティンが、二人きりになった時に、真剣な表情で懐中から秘蔵の大きな十字架を私にかざし、”神を愛しなさい”と言ったあの目。求道者のあの目。忘れない!

      マザーテレサは生きていた

 

 

        ・・・・・

     

     ↓ 普及会に降臨したイエスさん、薄ぅ

 

 

   「神の真理は、『シルバーバーチの霊訓』を通して語り尽くされている。現代人が受けるに相応しい内容になっている。今、私が降ろしている通信は、今後二千年の未来を約束するものである」(イエスからの通信2021.10.28)

 

  ↑ いやいや、ちゃうやろ。 宗教舐めたらあかん。マザーテレサ舐めたらあかん。インド人舐めたらあかん。霊体験・神秘主義舐めたらあかんよ。

   

    

 

 

 

   ていううか、シルバーバーチの霊訓がどんだけスゲー か、スピリチュアリズム普及会は気づいていない。

   自分の言葉で、いろんな角度から繰り返し説明してるんよ。気づけ―気づけ―って。

 

  これ、まじ霊体験するんよ。教義じゃないんよ!! 

  訴えかけてるんよ。  

 

  一つ、確信したら、連想ゲームみたいに、ババババン、ズドーンって!

 

 

     

   4)神は人間にとって「霊的な親」である

    ↑ 普及会が拘るところ

 

           似せての意義がわかってないんだな。

 

   二元論の壁、ここんところで、多くの霊覚者が迫害されてきた(汎神論の名の下)し、だ・か・ら、 どこを、似せて造った って論点があるわけで。(論点すら気づいてないでしょ)

 

    神を天の親様と呼んで祈るべき(普及会)

        ↑ き・も・い

 

 Let them strive to attune themselves to the laws of the Great Spirit, so that they are at one with Him and He is at one with them.(そのようにして、はじめて、人々は 神と一つになり、神は人々と一つになるのです。)Teachings of Silver Birch edited by A.W.Austen, Psychic Press Ltd, London, 1991,p.24

   

   ↑ 日本の精神文化にはないフラクタルな思想。

  

  日本教徒の普及会は、万物に神が宿ると発想できても、神の中に万物が宿るとの発想が理解できない。日本教徒に組み込まれた、プログラムが作動してしまうんだ。

 

  霊的な親であることを強調しすぎると、たとえば釈迦が、”自己を尋ねよ” と言った、その自己の意義が、伝わらない。

 

     毒矢の譬え って そーいうこと。

  

 

  暗黒時代の教会みたいな発言を軽々にシルバーバーチは言わない。

 

       そんなのばっかり。

 

  

  そもそも 普及会が大好きな霊性って何よ?

 Spirituality なんて 言葉を シルバーバーチが意図的に避けている叡智に気づいていない。今時は、”スピリチュアリティイ”と  外来語扱いで使用されているのに・・

 

   カトリックとしての宗教意識とか、バーチが言うはずないじゃん。

 

    

 

       ・・・・・・・

 

 もっと色々あるけど、例えば、類魂についての理解もピンと外れ。ここでも、魂との関係について全く視点がもててなく、”死後の世界の物語”として認識しているようだ。

 

いずれ(要望があればとっとと)、解説したいと思うが、魂については霊体験したわけではないんので、生きてる知識として(霊的知識として)は未消化な段階とでしか話せないんだ。ただ、中途の段階の証言者として、ここが、非常に重要なことを知るだけだし、このバーチの訴えを感じるだけ・・・(虚しい)

   

 

Yes, they are all parts of the one soul which express themselves in different forms. You become increasingly conscious of more and more of yourself.

 

 ↑ 類魂、グループソウルという、概念ではそもそもないんだよ。

 

  

 It is really the same thing, except that it is not a grouping of different souls, but a union of the different portions of consciousness returning to complete the whole. 

あなたの説明での生命の意識の分離というのは、あのマイヤースが述べている類魂 説と同じですか。 全く同じものです。ただし、マイヤースがいっているように、いろいろな魂が集まって一 つの群れを作っているのではなくて・・・

 

  ↑ 一貫してる。シルバーバーチすげー。

 

   

 

釈迦は、このsoul について語っていた訳でして・・・

普及会に降臨したというイエスは交霊会でおしえてくれないのだろうか?

 

 

 百万回本読んでもわかるわけないだろうけど。

   

 

 

          この辺で・・

 

   

 

 

 

 

 

     ↑   ↑   ↑

 

何でも大真面目に、スピリチュアリズム普及会の交霊会にイエス・キリストが降臨したと主張している。

 

 

 

普及会唯一の霊的窓口として、日本並びに全世界に普及させていく。」 (イエスからの通信 2022.9.29)

 

 

「これから内部の敵の一掃にかかる。“内部の敵”とは、スピリチュアリズムの真理を自らに都合よく利用する者、私の通路・窓口となっている普及会に繋がらず、普及会の読書会に参加せず、勝手に読書会を開いている者のことである。

     

         (中略)

 

 だから我々の認めないスピリチュアリスト・読書会・グループ・団体・組織は、やる意味がないのだ。我々が“主流”を強調するには訳がある。霊界の意向にそわない流れをつくる者は、死後、大変な後悔と苦しみが待っている。そういうことが、あってはならない」(イエスからの通信 2022.9.29)

 

 

普及会の傘下ということは、我々、真理普及の大霊団の所属ということだから、普及会に倣うことに反発する者は、スピリチュアリズム運動から手を引いてもらうしかない」

(イエスからの通信 2023.3.23)

 

 

   ↑ なんか、発想が法華系の団体とそっくりだな。

 

 

  

 

 

 ↑ 法華経序本とか、陀羅尼本とかとよく似てるね。 

 

 

 「神の真理は、『シルバーバーチの霊訓』を通して語り尽くされている。現代人が受けるに相応しい内容になっている。今、私が降ろしている通信は、今後二千年の未来を約束するものである」(イエスからの通信 2021.10.28)

 

 

  ↑ バーチ曰く、シルバーバーチの霊訓は決して目新しいものではなく、既に人類に啓示されて且つ、瓦礫の下に埋もれたままのものを深い理解のもとに再UPしたに過ぎないと。

 

  オレ、殺されたりしないだろうなぁ?

 

 

スピリチュアリズム普及会は、汎神論を親の仇のように嫌うのだが・・・

 

 汎神論のラベルを勝手に貼って、攻撃する三段論法・・

 

           暗黒時代の教会かっ!!

     

  

  そもそも、古の霊覚者は皆口をそろえて言った。

 

      神は存在じゃないってネ。

      仏教では、”無”っていうネ。

      インド人は無記と表現したネ。

      キリスト教神秘主義でもそう主張して、迫害さ  れた人いたネ。

 

 

 なんのお話をしているかと云えば、

 

 普及会は、神は存在を超えた存在などと、新プラトン主義の常套句を無理解に並べてるけど、バーチとは関係ないよネ?・・・

  

  ↑ もう、シルバーバーチの霊訓じゃないよね。

  

敢えて、普及会ぽく云うならわば・

知性認識は存在よりも高く、別秩序に属してる」と、自己の宗教体験から語った人がいた。

 

 そういう話をしているの。例えば、あからさまに釈迦・・・

 

 

↑霊や魂について日本の精神文化の範囲内でしか理解していないことが明らか。

 

          実は・・・

  

 釈迦は神を否定していたのではなく、釈迦こそ、神を語っていた!

 

 

   意識の原型(ダルマ)に頼って生きなさいと説いた人なの。

 

 

  聖書だって、はじめに神の存在ありとは言っていない。

 

 

   はじめに言葉(ロゴス)ありき。

   (現代訳:初めにことばがあった)
 

    ↑ 迫害の歴史の中で、ここが論点になった。

                 ( ロゴスは種だという哲学のお話じゃないよ。)

 

   暗黒時代の教会は、これを迫害してきた。

 

 

シルバーバーチが凄いのは、↑そういうことを踏まえているってこと!!  そもそも、THE GREAT SPIRIT。

 

 

  スピリチュアリズム普及会は、スピリチュアリズムというラベルの、日本教を展開している。あくまで、島国の日本人という像の範囲内の思考パターン通り。

 

どこを読んでも、最初から終わりまで間違いばかりで、突っ込みどころ満載なんだけど、きりがないので、この辺でやめとこう。

 

 

        読書会も酷い。

 

 

 

 ↑ これで勉強してみて。

 

 

 ついでに、普及会が非難する、スピノザは汎神論を自認してるわけではない。あくまで汎神論ぽいってだけで。