或る日の早朝のことでした。眠っていると、胸の中に強い熱感があって、私は身を起こしました。

 

胸がとても熱くて、尋常ではありませんでした。

うずくまる様にして、体を前にちょっと丸めないと、耐えられません。全くもって、夢の欠片もない、現実です。

 

カッ、カッ、カッと、丸い波紋の形が、胸から外に出続いています。丸い波紋は見ることが出来ます。

 

一秒くらいの間隔でリズムよく、エネルギーのような熱が、胸から外に放出され続けました。終わりそうなイメージはありません。

 

 

太陽だ!! 

太陽が、胸の中から外に照っています。

照っている。そうです。この言葉そのものでした。

 

私は、その日の二週間前くらいから、毎日、太陽に向かって祈っていました。瞑想していました。私は、遠い過去の儚い思い出に寂しさを感じていました。それを振り払うためです。結構苦しかったです。

 

私は、太陽に向かって問いました。

あの、過去の儚い輝きよりも、貴方の光は美しいはずでしょう。貴方より、輝くものはこの世になないのだから。私は、まだ、貴方の光の中にその美しさを見出せていません。太陽よ、どうか、その美しさの光の中に、私を溶かしてください。

 

太陽よ、貴方の本質は霊であり、意識であるはずだ。

この世に於いて、貴方だけが自分の力で輝いている。

そして、その本質は、理論的には私の中にもあるはずだ。

 

このような感じで、太陽を大霊の象徴として、向い会いました。

 

直ぐに、本当に直ぐに、胸が太陽と繋がりました。

繋がる感覚がありました。ではありません。

放出されている何かが太陽と繋がっています。

 

もっていかれる。

顕在意識ではなく、別の意識(霊的意識)が、私から分離していく感覚があります。その中に、顕在意識を没入させようと努力します。

 

心地よさの中で、もっていかれる。

言葉では表せない感覚です。

物資的な太陽の熱の苦しさは眼中にありません。

 

私を焼き尽くしてください。

完全に焼き尽くしてください。

貴方以外にある、私の意識を焼き尽くしてください。

殺してください。いりません。心の中で強く思います。

 

言葉で表せない、気持ちよさであっても、もっと、もっと、もっと、

もっと! 私を、焼き尽くして下さい。物足りません。

100%を求めますが、かなうはずもありません。

 

2週間ほど、このような瞑想をしていました。

 

夜は、松果体が火傷したように、ジンジンしました。

医学的に松果体は太陽を直接見るらしいので、本当に火傷しているかしれません。

 

こんな感じでしたので、その日の朝、胸が太陽として照っても、「当たり前の延長」のように思いました。驕っているのではありません。人の本質は霊なので、霊であることを確信すれば。霊的な体験をするのは当たりり前だからです。奇跡とは思いません。

 

人間の中には、莫大な財宝が埋まっているのです。(シルバーバーチの霊訓) 当たり前なのです。

 

そんな事よりも、それより先に進むことが出来るのか?

に意識が向きます。遊園地で、ジェットコースターに乗りながら、心の中では、「次に何に乗ろうか?」と考えている子供と同じ気持ちです。


自分の霊性よりは先に進めないだろうから、そのほうが気になります。これを書いている動機もそこにあります。

 

やがて、胸の照りは収まりました。

 

私は、当たり前に私を導いてくれていると、思っている、稀代の霊能者である、エマヌエル・スエーデンボルグの本を読みなおしました。スエーデンボルグみたいな立派なな霊が、慕う者を放って置くはずがないからです。それを私のほうが受け止めることができるかどうかのほうが、遥かな論点です。

 

そこには、それまで読み飛ばしてた、霊界の太陽の話が書かれていました。また、霊人の体験として、「太陽の分身が体の中に入って、力強い光を放っている」話も書かれていました。割愛しますが、その一つ一つの話を、実感として、いつも心の中に置いています。

 

後で分かったこともあります。

ヘレンケラーが著作の中で教えてくれました。実際の文字ではこのようなことは書かれていませんが、わかる人には誰でもわかるように書かれています。

 

太陽の光は、霊的には「愛」そのものです。

その愛を受け入れることが出来るものには、愛として受け取れますが、そうでない者には、ただの火球の熱に過ぎません。霊界で、自分にぴったりの次元より上層の次元に行けないのはこのような理屈なのです。

 

つまり、太陽は、私の程度に応じた愛を示してくてたのでした。否、それは人間の視点です。太陽は、常に私たちに100%の愛を注いでいます。それを私の程度で、霊として感じることが出来て且つ、肉体の意識で体験することが許されたのでした。

 

この体験の話は続きがありますが、まだ今は、心でその謎を解いている段階です。