「すでにして彼は、ことばの中のことばなる「オーム」(唵)を、声を出さずに口に発し、吸う息とともに、声を出さずに自分の中に向って言い、吐く息とともに、声を出さずに自分の中から外に向って言うことができた。魂を集中し、明思する精神の輝きに額を包まれて。─すでにして彼は、自己の本性の内部に、破壊しがたく、宇宙と一体なるアートマン(真我)を知ることができた。」(「シッダールタ」ヘルマン・ヘッセ・新潮文庫)


 ヘッセの代表作ともいえるこの作品は、私にとって人生で最も影響を受けた一冊です。


 主人公の少年は、物語の冒頭部分ですでにこのような境地に達しています。ほぼヨーガスートラを卒業したレベルだと言っても過言ではありません。この物語は、まさにここから始まるのです。


 過酷な修行、釈迦との出会い、親友との別れ、遊女との愛、商才の発揮、博打と酒の日々、自殺未遂、聖者との邂逅、子供との離別、そして解脱。なんとも壮絶で波乱万丈な人生模様が繰り広げられます。苦悩に満ちた挫折が希望の蕾となる辺りは、「人生万事塞翁が馬」そのものです。


 ヨガ的にいうと、ヨーガスートラを体得した後に、運命に翻弄されるような人生を歩み、最後に真の悟り(ウパニシャッドのサマディの境地)に到達するというストーリーです。
 

 ヘッセは本書第二部に入ったところで、ばったり筆が止まってしまったそうです。訳者の高橋先生によれば、「解脱するシッダールタを描くまでにヘッセの体験が熟していなかったから」ということですが、ヘッセは「体験していないことを書くのは無意味だ」ということで、それまで以上に禁欲と瑜伽(ヨーガ)の業にいそしんだそうです。(やはりホンモノは違いますね)