巷間、ヨーガの瞑想法と称するものは、それこそ数え切れないくらいあります。ですが、歴史的にみれば、最古のヨーガは間違いなくジニャーナ・ヨーガでしょう。

 

 これはウパニシャッドの理想を実現するための瞑想法に他なりません。今からおよそ2800年前、ウパニシャッドの始まりと共に生まれ、ヨーガの原点とされるものです。

 このヨーガの特徴は、一人ではなく、必ず師の傍らで瞑想する所です。ですから師のいないところでは修行ができません。そこで準備段階の独習用としてラージャ・ヨーガが作られました。


 ヨーガスートラを読めばすぐわかりますが、ラージャ・ヨーガは師の同席を前提としていません。その為技術的には、無種子三昧や真我独存程度しかカバーしていません。

 本当は、そこから先が長い道程なのですが、現実問題として、ウパニシャッドが求める肉体からの「離脱」や宇宙の最高原理との「合一&融合」など、独習するのは到底無理なので、仕方のないことだと言えます。

 
 ハタ・ヨーガ・プラディーピガーをみますと、再三「ハタ・ヨーガはラージャ・ヨーガに至る準備段階」である旨述べられていますが、これはハタ・ヨーガに限らず密教ヨーガ全般に言える話です。つまり、密教ヨーガ~ラージャ・ヨーガ(ヨーガスートラ)&ジニャーナ・ヨーガ(ウパニシャッド)という流れがあるわけです。


 ヨーガスートラもウパニシャッドも、体験が伴いませんと、真に理解することはできません。瞑想がすすむにつれ「うん、うん」と頷きながら、自身の体験を確認しつつ、進むことができるようになりますと、ヨーガが本当に楽しくなってきます。

 

 はじめは、「体を動かして、汗をかいて気持ちがいい」というレベルでも構いませんが、いつの日か瞑想の奥義に触れ、ヨーガ(サマディ)の真実を体験し、自身の真我を観、死後どうなるかを知り、肉体を超えた無形の境地に逍遥する。その時こそ、ヨーガに秘められた「チカラ」を知ることができるのです。