「ウパニシャッド」とは昔から「傍らに坐る」という意味だとされてきましたが、30年位前から「ウパース」が語源だと主張する学者が増えてきました。

 ウパースとは「同一化」という意味です。アートマンとブラフマンを同一化させるのがウパニシャッドの目的なのだから意味的にも合致している、ということなのでしょうが、長年ヨーガを実践している側からすればやや異論があります。


 私は、この問題を考える時、釈迦と摩訶迦葉にまつわる「粘華微笑」という話が参考になると思います。

 

 ある日釈迦はいつもの様に霊鷲山の頂上で説法の座に着きました。ですが、その日に限って一言も語らず、傍らの華を一輪拈り取り、沈黙の内に聴衆の前にさし示しました。弟子達は何のことだか全く意味がわかりませんでしたが、摩訶迦葉ひとりだけは、静かに微笑みました。

 

 その時釈迦は、「我に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり。教下別伝 、不立文字、摩訶迦葉に付嘱す」と言ったとされています。以心伝心の劇的な伝法が、まさにこの瞬間に起きたわけです。でもここで考えなければならないのは、何故摩訶迦葉だけが法を得られたか?です。

 

 釈迦の傍らにはたくさんの弟子達が坐っていました。でも釈迦の悟り(サマディ)に同一化できたのは、結局、摩訶迦葉だけだったのです。

 

 ただ「傍らに坐る」だけでは何も起きないし、傍らに坐るに値する人、つまりグルがいなければ「同一化」する対象がいないので、やはり何も起きません。

 

 従って、「傍らに坐る」と「同一化」は、同時に満たされなければならない条件だったのです。