私は、集中とはむしろ「諸感官をそれぞれの対象と結びつける」行為そのものであり、ヨーガスートラの説く制感に逆行するものだと考えます。ですから、ここは文字通り「諸感官を、それぞれの対象と結びつけない」練習をすべきなのであって、集中力を高めると解釈するのは明らかに間違っていると思います。

 

ヨーガスートラのヨーガを完成させるには、「集中」は不要物そのものであり、排除されるべきものなのです。


ヨーガスートラの冒頭には次のように書かれています。

「ヨーガとは心の作用を止滅することである」(1-2)
「心の作用が止滅されてしまった時には、純粋観照者である真我は自己本来の状態にとどまることになる。」(1-3)


ヨーガスートラのヨーガは、次の3つのキーワードによって説明されます。
「心の作用の止滅」「純粋観照者」「真我独存(3-55)」。


これらはヨーガスートラのヨーガに於いて、まさにアイデンティティそのものであり、五禁戒&五勧戒を除く他の7部門の全ては、この「3つのキーワード」を離れるものであってはならないのです。

 

自らが行なっているヨーガがヨーガスートラに従うものか否かを判断するには、ひとつひとつの実技が、「心の作用の止滅」に向かうものなのか?「純粋観照者」の出現をもたらし、「真我独存」へのベクトルをもっているものなのか?を、予断なく検証すればよいのです。


集中は「心の作用の止滅」に逆行し、「純粋観照者」の出現を妨げるものなのですから、その意味で、集中を説くヨーガは、ヨーガスートラのヨーガではないといえます。