ヨーガスートラは、ラージャ・ヨーガに代表される顕教ヨーガの基本書として技術的にとても役立ちますし、それを学び体験することによって、ヨーガの本質に触れることが出来ます。


しかしながら、ヨーガスートラの境地は、本当にヨーガのゴールなのでしょうか?


ヨーガスートラは「心の作用の止滅」をヨーガの定義とし、純粋観照者である真我が自己本来の状態に留まる事を目指します。それについて佐保田鶴治博士は「ヨーガ根本経典」で、

「ヨーガのねらいは、真我の独存を実現することにある」と述べています。


ところが、ヨーガスートラの第1章を読んでゆきますと、1-51「無種子三昧」のところに「最後に、この真智をも止めてしまった時、一切の心の作用が止まってしまうから、無種子三昧が出現する。」と書かれています。


RPG的に言えば「いよいよボスキャラが出てきたぞ!!」ということで、期待に胸を躍らせながら、次のページをめくると、、そこには、第2章[行事ヨーガ]。。。

 

つまり、無種子三昧が出現した後にどうなるのか?

ヨーガスートラには殆ど何も書かれていないのです。


30年前、いわば中途半端とも言えるこの結論にかなり戸惑いましたが、その後ウパニシャッドを研究する事によって、改めてヨーガスートラの素晴らしさと、そして限界に気づく事が出来ました。

 

ウパニシャッドの世界は、ヨーガスートラを包含する広大で深遠なものなのです。

つまりヨーガ道のゴールはヨーガスートラではなかったのです。