ヨーガを学ぶ上でヨーガスートラは必読書だと言われていますが、その内容はかなり難解です。ヴェーダ、ウパニシャッドはもとより、中観や瑜伽唯識の仏教学を学ばなければとても理解できません。

 

佐保田先生の解説書を一冊読めば事足りると思ったら大間違いです。

ヨーガスートラは哲学書ではなく、サマディに至る為の技術書なのです。


例えば、アーサナについても、

方法としては「安定した、快適なものでなければならない」(2-46)としか書いてありません。これを身体のバランスやリラックス程度のことだと安易に解釈して、片足立ちのポーズや長時間座る練習などだと誤解しますと、ヨーガはただの体操になってしまいます。

 

次の句に「心を無辺なものに合一することによって得られる」とあり、さらに「寒熱」等を超越すると続くわけですから、ヨーガスートラをきちんと読むならば、単なるバランスなどではなく、これがかなり高度な境地を要求しているとわかるはずです。

 

私はこの部分だけで7年間悩み続けましたが、迷ったら原点に帰る!ということで、最初に書かれている“ヨーガの定義と真我”のキーワードつまり「心の作用の止滅」「純粋観照者」「自己本来の状態」に解決を求めました。


ヨーガスートラのターゲットは真我そのものです。

小手先の技法や小細工を一切排除して一直線に「真我独存」を探求する、それがパタンジャリーの意思です。

 

つまりアーサナの安定とは、制感と第四の調気によって肉体感覚の消失を得て、寒熱の感覚を超え、無辺なものに合一し、真我それ自体を安定させることによってのみ得られる境地なのです。

 

「安定」という簡易な言葉の奥には、もの凄く深い意味があります。

そしてそれを体得してこそ、真にアーサナを理解したといえるのです。

ヨーガは、単なる体操ではないのですから。