「全き沈黙のうちにある精神の行なう瞑想こそは、
人間が求めてきた祝福である。
この沈黙の中に、およそ沈黙の持つすべての性質が含まれている。」
『クリシュナムルティの瞑想録』
瞑想のベースは、言葉と思考の沈黙です。
ですからマントラをチャンティングしたりするのは、悟りへ導く瞑想ではありません。
真摯に実践するなら、何もしない無為の瞑想の方がはるかにパワフルだと感じることでしょう。
佐保田鶴治博士も著書の中で「顕教ヨーガは神秘主義型」だと書かれていますが、確かにその通りだと実感できます。
「瞑想のさなかにある精神は
沈黙のすべての変化と多様性と運動を包容している。
(中略)瞑想のさなかの精神は、このような沈黙の中を漂い
ただ愛の流れに身を置くだけである。
このような沈黙の中に祝福と朗らかな笑いが生まれる。」
『クリシュナムルティの瞑想録』
瞑想とは「沈黙」つまり「想いを閉ざす」ことを意味します。
私達は、その沈黙を通してその先に想像もできない世界を見出すことが出来ます。
サマディを語らない瞑想は、果たして本来の瞑想だといえるでしょうか。
その答えは、瞑想の中で自ら得て、確認すべきだと思います。
「信仰というものは真理の否定であり、真理を妨げるものです
神を信じることは神を発見することではありません」
『自我の終焉』クリシュナムルティ 篠崎書林刊