インドにおける最高主宰神の考え方について、中村元博士は次のように書かれています。

 

「宇宙を創造した最高神というものが存在するかどうか、― この問題は、古来、世界の諸文化圏を通じて、哲学者や神学者達が真剣に論議したことがらであった。」(「ヨーガとサーンキャ哲学」中村元著)そして次の三パターンをあげています。

 

「<ⅰ>若干のウパニシャッドやヴェーダーンタ学派ないしヒンドゥー教諸派では、世界を創造し、存続させ、やがて滅ぼしてしまう主宰神が存在すると考えていた。」

 

「<ⅱ>これに対して、ヨーガ学派、後代のコヤーヤ学派などでは、主宰神の存在を認めるが、それは卓越した精神的存在であるというにとどまり、世界や宇宙を創造したり破壊したりする能力はないと考えていた。この点では、西洋の有神論者とはかなり相違する。」

 

「<ⅲ>さらに、唯物論者たち、仏教、ジャイナ教、ミーマーンサー学派、初期のサーンキャ学派などでは、最高主宰神の存在を認めなかった。唯物論者たちはいかなる神々の存在をも否認した。仏教、ジャイナ教、ミーマーンサー学派などは、多数の神々の存在することは承認していたが、宇宙や世界を支配する主宰神を認めなかった。」

 

<ⅱ>のヨーガ派は有神論的サーンキャと呼ばれていて、初期のサーンキャ学派とは神観が異なりますが

サンキャ・ヨーガ派として両派が結びついた時に双方で影響し合うことになりました。

その結果、ヨーガスートラに於いては最高主宰神を「宇宙を支配する機能を持たない存在」として定義していますが、註釈家ヴィヤーサ(紀元500年頃)は「最高神には宇宙を支配する機能がある」

 

と考えて論じていますので、そうした流れが徐々に浸透し「9世紀頃にはヨーガ行者たちは根本原質の運動は主宰神に導かれ、支配されていると考えていた。」(P99)とのことです。