信頼関係を築いて訓練 | 柏英数教室 明倫舎 千葉県柏市 学習塾
↓は塾内用のインターネット掲示板に昨日書いたことです。

明倫舎の恐ろしい実態が分かりますよ。

2016/05/12(木) 15:03:38

○○長女が塾に来ると、来てから帰るまで一体何回私からデブと呼ばれるのか、数えられないほどです。

ある日の授業の際、「おまえの長くはないこれまでの人生の中で、こんなにデブデブ言われたことはないかな?」と言いました。

すると、「ありませんよ。先生が初めてです。親でさえ気を遣ってか、あまり言いませんからね。まあ、母は喧嘩すると言いますが。」と返されました。

だから、「そうか、もうデブって言わない方が良いかな。」と言うと、「やめて下さい。嫌ですよ。怖いじゃないですか、見捨てられたみたいで。デブって言って下さい。」との反応。

「デブ」とよばれている方が遥かに安心なんだそうです。

女の子の向かって「デブ」。

絶対に言ってはいけない言葉です。

でも、私は彼女に言っています。

しかし、「デブ」しか言わないのではありません。

彼女と言葉を交わす回数は毎回とても多いのです。

自分の娘が私から「デブ」と呼ばれているのをもちろん両親も知っています。

ですが、人間は言葉を交わす回数が多いと、きちんと分かって来ますよね。

自分が気に入られて「デブ」と呼ばれているのか、それとも嫌われてデブ扱いなのか。

そもそも人間は相手が嫌ならば言葉を交わすことなどありません。

嫌いな相手には話しかけもしませんよ。

私も高校時代、先生方から「バカ」「死ね」をよく言われました。

「死ね」は母校特有の最上級の励辞ゆえに他人にはなかなか理解してもらえないでしょう。

それでも、「バカ」については誰もが分かるのではないでしょうか。

相手を嫌って「バカ」という時もあるでしょう。

しかしながら、多くの場合はそうでないことくらい言われた本人が並みの人間だったら理解できるはずです。

「この馬鹿野郎がっ!」と言われた時、それは「しっかりせんかっ!」という意味ではありませんか。

言葉を文字にしてしまうと伝わりにくい点があります。

ですが、実際の会話には抑揚、つまりイントネーションがあるから、言われた人間はしっかり理解して受け止められます。

言葉を交わす、これが一番大切なのです、人間にしか言葉はないので。

ちなみに、やはりデブ仲間の○○次女から「自習に言っても良いですか。」とメールが来ると、私は「ドスコイ」と返すことがあります。

すると、彼女からは「ゴッツァンです。」とメールが来ます。

どうですか、このやりとりは。

ある時は上記の2人が同席することがあって、私が「おい、デブ!」と呼ぶと2人が同時に「はい!」。

お互いの顔を見て笑っていましたよ。

ゆとりが出て来ています。

芸能界ではアンジャッシュ児島がいじられまくっています。

彼の役割は分かりやすいですね。

「ねえ、大島さん」

「児島だよ!」

これでワンセット。

ある番組で「ねえ、児島さん。」と言われた時、「児島だよ!」と言う準備ができていた彼はどうして良いのか分からず困っていました。

そのキョトンとした顔が楽しかったですね。

みんな自分のポジションがあります。

彼は常に番組の中でいじられていますが、それは自分の役割としっかり認識しているから、出演する番組が多いのではありませんか。

頻繁にテレビで見ますよ。

芸能人がたまにしか画面に登場しないのでは意味がありませんから。

自分の仕事はいじられること、それをきちんと意識しているからプロデューサーに気に入られて番組に呼ばれる訳です。

嫌いならば使わないでしょう。

「デブ」と呼ばれる、いじられる、知らない人がそこだけ見たらイジメの現場のように思えてしまうかも知れません。

しかし、実際には当の本人が一番分かっていて、全然困っていないどころか安心なのではありませんか。

これを読んだ母からのメールが↓です。

こぶたの書き込みを拝見しました。
親といっても、主人は確かに「デブ!」は言いませんが、私は、「くそぶた!」「ばかぶた!」と、似たような言葉を言っています。「お母さん、児童相談所に言葉の暴力を受けています!と、言うからね!」と彼女は言っていますが。
同じ「デブ」でも言われる人によって感じ方が違います。
信頼関係があるかないかです。
小学校からお世話になって、苦しい時、悲しい時も寄り添っていただき、支えて頂いた先生からの「デブ!」と言われることは光栄に思っています。あいさつ代わりでしょうか。
免疫をつけていただき感謝です。

それから間もなく本人から届いたメールが↓です。

デブネタについて、毎回来るたび言われるのでほぼ挨拶と思って過ごしていますよ❤︎。耐性がついたおかげか学校の○○出身の体育教師にさらっとデブネタ振られても笑顔で返せるようになりました。
これからもデブの富士こと○○をよろしくお願いします。

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↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

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○○さんとお母様のお話、とても懐かしいです。本当に微笑ましい会話です。信頼関係の構築には言葉のキャッチボールが一番早いです。恩師である塾長との会話はまさに社会に出た時のためのコミュニケーションの良い訓練になっていますね。デブと言われて仏頂面で怒って周囲の空気を凍らせてしまうのか、笑顔でジョークで返して周囲の空気を温かくするのかは雲泥の差です。良い運を引き寄せるのは来栖先生の様に笑顔で会話を楽しめる人です。

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言葉を交わすことで得られるものはとても多いのだと思います。言葉のキャッチボールから互いの信頼関係も生まれてきます。信頼関係ができていれば、デブでもバカでもその言葉に込められた気持ちを感じることもできるのだとも思います。書き込んでくださった○○さんのエピソードはよく覚えています。

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○○さんとの会話はとても微笑ましいです。デブといって会話をなげかけてくださって、先生とのコミュニケーションを楽しんでいるのだと感じます。先生の仰るとおり、嫌いならば話しかけることはないと思います。先生にデブと言ってもらえることが安心に繋がり、勉強も捗るのですね。言葉のやり取りはとても大事ですし、信頼関係があるからこそのコミュニケーションだと思いました。

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塾長から一見、悪口のように聞こえる言葉であえて呼んでもらうことで、免疫をつけられるのですね。塾長の仰る通り、どうでもいい相手、嫌いな相手には、悪口は愚か、話もしません。そんな人間に無駄なエネルギーを使うのではなく、自分のために時間を有効活用すべきだと思います。塾長にいじられる、罵られることは、自身の成長に繋がると思うので、残された時間で、できる限り成長したいと思います。

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信頼関係が大事だと思います。言葉を交わすことで信頼関係を築くことができますね。言葉のキャッチボールを楽しむことができる人は必要とされると思います。プライドから会話を楽しむことができないのはつまらないと思います。塾長は社会に出た時に困らないように、授業中も様々な言葉を投げかけてくださっていると思います。いつも塾生のためにありがとうございます。

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○○さんと塾長の会話はとても楽しそうです。デブという言葉でコミュニケーションを取り、笑顔になりそして安心できる素敵な言葉になっているのですね。その素敵な言葉は周りにいる人たちも笑顔にさせてくれます。安心して勉強にも取り組めます。社会に出てからも信頼関係を築くことはとても大切です。塾でこのような学びもご指導いただけることは有難いです。

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信頼関係だけでなく、そこに愛情も感じるから「デブ」が悪口に聞こえないのだと思います。いじられる事に慣れてしまえば社会に出ても上手く乗り越えられると思います。きちんと会話のキャッチボールができ、コミュニケーションが取れていれぱ信頼関係が生まれます。せっかくご縁を持てたのですから塾長と沢山会話を楽しみ自分を知ってもらう事が大切だと思います。

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そのようなコミュニケーションを交わすことで塾生は社会に必要とされる人間になったり、面接なので面接官から好かれるのだと思います。残りの時間で自分ができる限り成長できるように塾長との会話を大切にしていきたいです。

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同じ言葉でも信頼関係があると心地良く聞こえ、言われないと寂しさすら感じるのですね。言葉はコミュニケーションを図るツールであり、仰る通り、言葉を交わすことが大切ですね。どうせ同じ言葉ならばプラスの抑揚で明るくいきたいと思います。

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コミュニケーションは生きていく上でとても重要だと思います。何を言われても嫌な顔をするのではなく上手く返すことがとても大切で、それは日頃の訓練が必要なものでもあると感じます。

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