14日、気になっていた事業所のハローワーク説明会に行ってきました。ここは実務経験に見合う所で前から気になっていたところ。緊張して待っていて呼ばれたら男女一組の職員さんがいて、とにかく所長さんが明るく、人がいないのか、ぜひ来てください!ウェルカム!という感じだったのです。だから私は望まれているんだと思って、受かるに違いないと勘違いして、先に面接していた学習塾の合格したのも断りました。

 20日に事業所見学に行ってきたんだけど、その時、所長が前にあった時と感じがちかったんです。厳しい感じというか、そしてそこの法人はピアサポーターの生活支援センターと同じだったため、面接してくれた女性の方はピアサポーターが何たるものか知っていたんです。だからそのあと、ピアサポーターのピアが障害をもっている人という意味があとからわかったせいか、態度がいやな感じに変わっていた。

 わかりますよ。大変な仕事だという事は。障害者年金何級ですか?とも聞かれ2級ですと言ったら、まずは準社員ではなく、パートから始めればいいと言われました。見学もなんか温かみがない紹介というか。他の働いている職員さんたちは明るくていい感じだったんだけど、慇懃無礼な感じがした。あなたには期待していないという雰囲気がむんむんと感じて。悲しく感じた。前と凄い落差を感じて。

 そして二か所の事業所見学だったので移動中の車の中で、以前学習塾で働いていたから勉強のテクニックだけはあって、東北福祉大は福祉系大学の東大にあたると以前高校の教員の方に聞いた。それをはじめから聞いていたら違う大学に行っていたかもしれない。でも成績だけはよくてしかし勉強の理解に欠けたんですよね。と言ったら、自慢かと思われたのか、塾とは全然違う仕事内容ですよと冷たく言われた。勉強のテクニックがあるといったことでじまんだとかんちがいされたのかな?と。そのまま受け止めてほしかっただけなのに。

 一応見学に行く前に精神安定剤を服用していきました。念のため、二種類。これは飲むとものすごくポジティブになるし困るくらいだったのに、見学から帰ってくる車の中で何ともいえない嫌な気持ちになって、一日中、母と話していた。最初は悔しくて、つらくてどうしようもなかったけど夕方ごろには少し緩和していました。金曜日、精神科受診の日だったので私の主治医はそこの法人の理事長、いわばトップなんです。それを伝えて、誰ですか?と聞かれて名前を言ったけどわかっていないという顔だった。主治医から注意をしてほしいくらいのレベルです。

 昨日は久々に前に学習塾で働いていたころの同僚と話してたんだけど、そんな国家資格である、社会福祉士と精神保健福祉士をもった人の気持ちを扱う人がそんなんじゃだめじゃないと怒ってくれて。やはり私が悪いわけではないのだと感じた。

 しかし、病院に行ったときに今まで私のケアマネだった女性が、非常勤になり、半日勤務になったため、話したいときに話せなくなったのです。だから変えたいと主治医にいったら、でもデイケアの女性、その方も通信で勉強して精神保健福祉士をとった方なんだけど、その方に聞いてもらおうかな、と言ったら内緒だけど彼女は旦那さんの仕事の関係でやめるんです。と言われた。びっくりしたけどあとから考えると、彼女がいないと国家試験対策ができないんです。国家試験をどのように勉強したらいいかわからなくて、ずっと彼女がこの病院で働いてくれると思っていたので安心しきっていたんです。だから明日。面談をして、国家試験対策について聞こうと思う。ついでにいついなくなるかも聞く。最近彼女が休んでいることがったのはこのせいかと思った。

 とにかく彼女がいなくなったら私は非常に困るので今から焦っています。

 でも福祉の勉強も大変だった。就職活動も大変。仕事してからも大変と思ったらせっかく勉強したけど正直したくなくなってきました。もっと私にあって、したい仕事があるんではないかと。同僚と話していて、れなさんは昔から英語の勉強が好きでそれはずっとぶれていないですよね、と言われた。本当は地元の英会話塾で働きたいんだけど最低でも英検準1級を持っていないといけないのです。

 今私は、お金がありません。障害者年金だけなので。家計簿をつけて予算もつけたら大体一か月85000円必要な計算になったそれに対して年金の収入は97000円くらいだから1万くらい貯金できる計算になります。車も買ったし、来年復学するために貯金したいし、でも時間があるから本当は英会話にも通いたい。来月からパソコン教室が始まったら忙しくなって気持ちも充実してくるのかな?とまだ気持ちに痛手を負った私は思う。

 とにかくこれは福祉専門職による、障害者差別であって絶対にあってはならないことだと思う。その所長は差別だという意識はしていないと思うけどそれが余計悪質に感じます。生まれて初めての障害差別だったのでものすごくショックだったのです。でも皆さん、こんなブログ見てくれてありがとうございいます。何とか生きていけます。