改めて私のブログタイトルを見直しました。なんか滑稽で笑えてしまいます。ハッピーブログだなんて。

 さて昨日からの続きですが、母や元仕事の同僚に話をしました。すると二人とも、真剣な話をできないなんて、ナイーブを通り越して超過敏でないかな?との感想が。

 信頼できる病院の主治医に話そうと、話す内容を手帳に書いていきました。

 彼は私が鬱になったら自分にも伝播するから一年に一回だけ鬱になってそれ以外元気でいられるようでないと自分も鬱になってしまうことを恐れている。

 私はどうしたらいいか考えたが、例えば鬱になる予兆があったときに鬱を治すために彼と離れて入院することはできないか?どうしても彼と一緒にいたい。ですから先生はどうしたらこれらのことに対応できるかわかる範囲でいいから教えてほしい、と。

 昨日、福祉の現場で働いている元同僚に彼はかなりナイーブで感受性が高く、繊細だから今でいうHSPなのか?少しのことでも感じやすい性分なのでなのでは?と言われた。これらのことに対処する、例えば薬は服用しないまでもカウンセリングを受けて彼が内側から強くなれる私の鬱にも対応できるようにならないか?

これらのことを主治医に伝えると、先生は開口一番がっかりしたと言いました。鬱が伝播したり、うつることは絶対にない。れなさんが悪いのではなくて彼の問題だ。このままでいったられなさんがだめになってしまう。

 初めは恋愛で楽しいけれど、生活が始まったらシビアなことも出てくる、そんなときに話し合えないのはだめだ。辛いことがあったら二人で乗り越えてやっていくものだ。それができなかったら無理だ。

 そして最後にれなさんが彼を変えていける可能性はあると言われました。この時点で20分以上たっていたので他の患者さんにもご迷惑になると思い、とりあえず、私の問題ではないのだと気持ちが対処できたので、その可能性は聞かず、診察室をあとにしました。

 結婚とか一生一緒に住むという事は重い軽いはあってもシビアな話はれなさんではなくても出てくる事だと思う。そういうことを乗り切って大人になっていくのかなと思う、とおっしゃいましたが、彼の54歳にしては子供っぽいところがあって生来の性分なのか環境がさせたのかわからないが彼は私の病気に寄り添うという事ができない、自分まで鬱になってしまうからです。

 そして母は日曜日、京都に生け花の講習に出かけていきました。ここからは私とパーキンソンを患う父とシーズーの女の子かなとの生活になります。

 火曜日に再度先生がおっしゃっていた、可能性とは何か聞いてきました。

 彼の言っていることは障害をやめてくれと言っているようなものだ。難しいことを乗り越えることが大きな分かれ道でだから変えられるチャンスがある。と。

そして彼にどうやって伝えていいかについては、

 私はあなたの最大の協力者だと自負できる。だからあなたは私の協力者になってくれませんか?私はあなたと壁を乗り越えられると思ったんだから、それがチャンスだ。あなたの壁も一緒に乗り越えようと思っているよ、と告げなさいと言われました。

 うちに帰ってからメモしたこの言葉を見て考えていましたが、彼が鬱の症状が出たら別れるという前なら自負できると言えたと思います。

 前回地元に来て、別れてからもラインで好きだよとか来ていました。でも私は彼からの言葉にとても傷ついていて、その齟齬が埋められなかったんです。

 ピアサポーターの同僚にも話したら同じようにそんな人間別れたほうが良いんじゃないと本気で怒ってくれました。今私は彼に対する気持ちがないです。一昨日まで彼とは別れたほうが良いと思っていました。それなのに、昨日朝起きたら別れる前に一度だけ、先生がおっしゃったことを言ってみてそれでもだめなら別れる、という気持ちになり、気持ちが一日で変わる自分に対処できなくて困ってしまいました。

 昨日の時点では、今でもですが、それほど彼に執着はしていません。本当に自分がしたいことをしたいと思っています。東京で暮らしたいなとも思っています。

 でも、北大での歯の治療のこともあるし、そう一足飛びにはできません。彼と会うと、マッサージをしてくれ、その時彼が発見したのですが、左首に対して、右の首が凝っているというか全然違うと言います。

 3月に北大で顎関節症科の先生に見てもらおうと思っていますが、その前に法テラスで2007年に地元で歯の矯正を100万かけてしたのに、矯正した後の歯が戻らない装置をつけてもらっていないため、北大の矯正歯科の先生曰く、歯は元に戻っていると言われ、その時の費用を少しでも返していただけないか母が帰ってきたら無料の法律相談を受けるつもりです。

 今の私は彼がいなくてもいいです。むしろその方が自由でいいかも。

 でも彼のおかげで世界が広がったのも事実ですし、子供っぽいかもしれないけど彼のおかげで漫画喫茶を知ることもできました。

 5日以上父と暮らしていて、掃除、洗濯、食事としなくてはならず、それとともに父のパーキンソン症状で思い違いの発言があり、私が戸惑うことが多々ありました。

 今のところ、毎日ジムに通っています。体重も落ち始めています。なんで彼に通ったほうが良いと言われていた交際当初から通わなかったんだろうと思うばかりです。

 恋愛で死ぬ人もいるんですね。でも私はこんなことで死んだりはしません。

 今回母がいなくてとても彼女の存在のありがたさが身に沁みました。父のこともあるし、そんなときに支えてくれる人が欲しいと思った。運命の人だと思っていました。だからそうでないと分かって落胆するばかりなのです。

 ブログのタイトルはまたかえるつもりです。年賀状で彼のことはもう決まったと思ったので、友人に結婚することを伝えてしまったのが今から考えると痛いです。

 正直彼は変えられないと思います。もし転勤が私の地元なら、一緒に同棲してやっていく事も考えられたでしょう。メンタルクリニックも私の通っている精神科に変えて、私の主治医に見てもらえれば変わる可能性もあった。でも、全然違う土地ならば、せっかく鬱になりながら勉強した、福祉の勉強を生かすため就労移行支援か就労定着支援の仕事を彼と離れて地元で就職して、それでも鬱にならなかったら彼と暮らすことも考えていました。でも、今の私の気持ちは無です。

 今彼は札幌に帰っているため、月曜日の仕事が終わってからズームの時間をとってもらい、話そうと思っています。だからそれでだめならそれでいいのです。彼がそこまでの人間だったという事です。

 さて、胸の内を話しました。またご報告がありましたらここで話させてください。こんな話に付き合っていただき、また、いいねまで頂けてありがとうございます。少しでも自分の力になります。それでは。