今日は、命の奇跡を感じる双子の報告があった。
偶然にも…
明日は、水子供養に行く予定を立てていた。
私たち夫婦には…芽依の他にもう一人、水子がいる。
生んであげられなかった命。
もしも生まれていたら、今頃…
3歳くらいかな…。
…これは、私たちが一生背負って生きていかなければいけない。
供養しても供養しても…気持ちが晴れる事はない。
芽依を亡くしたのも…
あの子を殺した罰が当たったのだと…
そう自分を責める事がある。
関係ないかもしれない。
しょうがなかったかもしれない。
…でも、中絶にしょうがない事なんてあるのかな。
自分たちの責任だ。
生まれて来ても生きられない先天性の病気をかかえていたり…
流産してしまっていたら…
そうしたらまた話しは別かもしれない。
でも…
こんなに、芽依の死を悲しむ一方で…
私たちは過去に、自分たちの赤ちゃんを中絶している。
理由なんて、言い訳にしかならない。
赤ちゃんを虐待して殺したお母さんは刑務所に入って罪を償うのに…
お腹の赤ちゃんを自分の意志で殺したお母さんは、無罪になるなんて…。
もちろん、強姦など…やむをえない中絶もあると思う。
でも、私たちはそうじゃない。
どうしたら、妊娠するかなんて…わかってる。
長女だっているんだから…。
私にとって同じ子供をこの子は生んで、この子は殺すなんて選択、有り得なかった。
それでも、最終的に、中絶している。
芽依が亡くなってから、後悔してもしきれなくなった…。
その子は10週目だった。
でも、その命もいずれ形となり、芽依と同じ、自分の子供に…なんら変わりはない。
10週のあの子と、1500グラムで亡くなった芽依と…命の重さは変わるんだろうか…。
それって…同じなんじゃないかな…。
形となり、この世に生まれて来たから、まるで悲しみが深いように感じるけれど…
小さくても、立派な命だった。
とても、元気いっぱいに動いていた。
何度も夢を見た…。
その子の夢を見た…。
芽依の、お仏壇の横に、その子のエコー写真も飾ろうと思っている。
あれから毎年、お参りに行っている。
今年は、芽依の事があり、もう行けないかと思っていた…。
…芽依が、生まれる前に…
生まれた後にでも、報告に行くべきだったのに…
行かなかったのが、いけなかったのか…
あの子が、ずるい…と怒ったのか…
芽依が亡くなった理由に…
そんな事も考えてしまった。
旦那さんは、言う。
「違うよ。
あの子は、ちゃんと供養してあげたから大丈夫だよ。」
そうかな…。
今年行けないのは、どうにも気持ち悪くて…自分の中で、納得出来なくて…明日、お参りに連れて行ってと頼んだ。
片道3時間かかる場所に、眠っている。
とは、言っても形もなく、お骨もなく、その子だけの水子地蔵を建ててある訳でもないから…供養に行くだけ。
あるのは、そこで頂いた水子の名前だけ。
ごめんね、と謝ってもどうにもならない。
我が子の命日…二回もあるなんて…。
芽依は、可哀想なあの子の元に、行ってあげてしまったのかな…。
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