旦那さんは旦那さんで、別の心配をしていた。
小さく生まれてくるリスク。
どのくらいの確率で、障害が残るのか。
女医は、
障害が残る可能性があることを説明してくれた。
でも、
私には、
障害どうこうよりも
まず、生きられるのか。
助かるのか。
肺の機能を始め、すべての機能がまだ未熟だという。
無事に生まれてくるかも分からない状態で、
障害のリスクを心配するのは、急ぎすぎているし、まだその心配の段階にさえ到達していない。
生きられるかさえ分からないのに、障害の心配の質問は…私はまだ早いような気がしながら、聞いていた。
女医も、全く予想通りの反応だった。
障害の確率よりも生存の確率の心配が先だと。
生きてくれないかもしれない。
私たちの赤ちゃん。
旦那さんも、女医にありとあらゆるリスクを説明され納得したのか、
絶望しながらも
それでも私を励ます為、
我が子を亡くすかもしれないという恐怖と戦いながら、
「もしも無事に生まれて来てくれたら、もうそれだけでいい」
それから、
旦那さんと、握っていた手を力いっぱい握り直して、
「どんなリスクを背負って、生まれて来ても、二人で受け止めて育てていこう。
必ず幸せにしてあげよう」
と。
…そう固く誓い合い、約束した。
私も全く同じ気持ちだったよ。
私の横にいる人が、
この人で本当に良かった。
この人となら、どんな苦難も乗り越えていける。
少しづつ、抑えていた陣痛が徐々にまた来るようになった。
張りが戻ってきた。
さぁ、来い!陣痛!!
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