長男が一人暮らしを始めたのが

去年の8月末

 

相変わらず

居所は分からず

LINEは繋がらず

メッセージにも返信はなく

 

そうやって11ヶ月が経ち。

 

まぁ、

離婚で私があの家を出たので

もともと別々に暮らしていたし

 

私は私で忙しくそして楽しく暮らしてるしね

 

なんてったって彼は

もう25歳にもなるいい大人だし

 

何よりあの子との

時には戦いながら重ねた時間が

私に 分離 を教えてくれました。

 

彼のことを日常的に思ったり考えたりすることは

そうそうないというのが正直なところです。

 

そして私は

彼の居所を特段知りたいとも思っていません。

 

そりゃ、いろんな思いはあるよ

 

住所ぐらい知らせるのが当然じゃん、とか

メッセージに既読ぐらいつけろよ、とかさ

 

私の中の常識が揺さぶられるのも事実。

 

でも、それでもさ

居場所を知らせないのは彼の自己決定だから

私はそれを最大限尊重したいと思うのも

紛れもない事実です。

 

 

そんな中

 

たまたま長男と同じような境遇の息子さんがいらっしゃるお友達が

息子さんの居所をいっぱいの愛で探されてる姿や

 

娘さんの今に精一杯寄り添って

粘り強く話し合いを続ける友達の姿に触れるにつけ

 

私は、、、長男のことをあきらめようとしているのだろうか、と思ったりする。

 

 

 

 

ふと、彼の小さかった頃のことを

思い出すことがあります

 

難産でやっと生まれてきた時の安堵

 

右手のマヒが一生治らないかもしれないと言われた時の覚悟した気持ち

 

そのマヒの診察のために、私の体もままらない中

産院から退院した翌日に医療センターに連れて行った時のこと

 

大阪から誰も友達がいないこっちに引っ越してきて

つながりを作ろうと毎日児童センターまで車を走らせて通った時の

寂しくて切ない気持ち

 

 

あぁ、そんな私のそばに

あの子はいてくれてたね

 

私は今よりもっと未熟で至らない母で

でもそれでも一緒にいてくれたのは、あの子だ。

 

 

 

 

彼は、今を生きている。

私から見たら不義理に見えることも

あの子にとってはきっと今必要なことなのだと

改めて思う。

 

そして私はやっぱり

彼の自己決定を最大限尊重しようと思う。

 

そして私の自己決定も

私は最大限尊重しようと思う。

 

私は伝え続けるよ

 

自分との約束を守ることの大切さを

私がずっとずっとあなたを愛しているということを。

 

私はあきらめない。

 

それが私の愛の形だ。