私の実家は

私のおじいちゃんと父が

コツコツと建てた家です。

 

それは

田んぼと精米所とうどん作りを

生業にしていた頃で

 

父は学生の頃から

家の仕事を手伝っていました。

 

コツコツとお金を貯め

ある程度の蓄えができると

日野川から河原の石を

オート三輪に積んで帰っては

家の基礎に使って

少しずつ建てた家なのだと

 

父は私に何度も話してくれた

その、家。

 

 

 

 

父はこの土地に生まれ

東京に赴任していた3年ほどを除いて

ずっとここで暮らしています

 

おじいちゃんが戦争から無事に帰ってからも

暮らしはそうそう楽ではなかったようだけれど

おじいちゃんとおばあちゃんは本当に働き者だったようで

(私の記憶の中の祖父母像も全く同じです)

 

一生懸命一生懸命働いて

ひいおじいちゃんが売り払ってしまった土地を

少しずつ買い戻していったのだと聞いています。

 

 

 

 

 

 

なんかね。

 

この家には この土地には

おじいちゃんと父の人生が詰まってるんだよね。

 

 

近所の路地

よく遊んだ神社

 

 

 

私は18年過ごしただけで

ここを出てしまったけれど

 

その後も両親は

この場所で時を重ね

 

いつのまにか

人生の終わりじまいを考える歳になり。

 

 

 

 

 

美奈子がここに帰るつもりがあれば、と

そう言ってくれた父と

 

こちらに帰るつもりはないんだ、と伝えた私。

 

 

 

 

 

 

 

ごめんね、って思う。

 

お父さんが大切に守ってきたこの場所に

帰れなくてごめんね、って思う。

 

ごめんね。本当にごめんね。

 

 

申し訳なさすぎて、、、、

 

やっぱヘコんじゃうんだよなぁ。。。(涙)

 

 

 

 

 

 

 

父も私も

それぞれの人生を生きていて

 

それはお互いにちゃんと分かってる

 

だから 父も私も

自分の思いを押し付けるようなことは

絶対にしなくて

 

ただ、自分の思いを伝えるだけで

 

そうだって分かってるけど

 

だけど

期待に応えたい私がいるのも確かで

 

私が帰るって言ったら

どんなに喜ぶだろうって思うと

 

やっぱり、、、ごめんね、、、なんだよね。

 

 

 

 

 

お父さん 私ね

この家が大事だよここが大好きだよ

 

それは絶対に変わらない

 

 

この家も

 

この山も

 

この海も

 

 

 

 

私の中にずっとある。

 

 

 

 

 

 

 

 

私、毎年帰るね

 

息子たちが一緒に帰れなくなっても

私一人でも帰るよ

 

だから、、、

 

ごめんね

 

そしてこんな娘だけど

愛してくれて

 

本当にありがとうね。