2013年から学び始めた傾聴も

今年の秋で丸6年になります。

 

3年前からはカウンセラーとしての活動も始め

カウンセリングもしています

 

日常だって傾聴ボタンを押すことは

本当にたくさんあって

 

息子たちにも

「お母さん聴いてよー」ってよく言われるし

 

以前に比べたら 寄り添うのが

上手になったかなぁって思う。

 

 

 

自己一致という言葉を知り

自分の今の気持ちをつかめるようになって

楽しいを選ぶことも覚えたし

悩みもぐんと減った。

 

うん。減った。

 

それは間違いない。

 

 

 

あぁ、それでも私は

つくづく人間なんだと思うんだ。

 
 
 
 
土曜日に傾聴実践維持講座を受けました。
 
「奥を触る」
 
これが今回のお題。
 
私の奥。
 
 
 
… … … … … …
 
 
 
生きてると
いろんな出来事があって
いろんな感情がわいて
 
気持ちもあっちに行ったり
こっちに行ったりで
 
大好きだったり
もうイヤだ!って思ったり
 
それは子どもたちに対してもそうなのだなぁって、、、思う。
 
 
 
 
 
 
四人をいつも平等に愛さなければならないという
私の中の べき が
私自身の首を絞める
 
「子どもは なんやかんや言っても可愛いもの」
「子どもは結局はお母さんのことが大好きなんだよ」
 
…本当にそうなの? って
どこかで疑ってる気持ちがあるくせに
やっぱり愛されたいし愛したいと願っていて
 
自分の中で相反する感情が湧くんだ。
 
それは、、、やっぱり苦しいね。
 
 
 
 
 
会うと傷つくを選ぶ自分
会うと悲しくなる自分
会うと不安になる自分
 
会わないことで、、、ホッとする自分
 
そんな自分が情けなかった。
 
 
 
 
湧いてくる感情は突然で
もう どうしようもなく湧いてきて
 
私はそれを見つけると
あぁ、私ってこんな風に思うんだって思って
それじゃだめ、って思って
 
その感情にフタをする。
 
人の心は最後の最後は必ず愛でできてる
 
そう学んだから
そうだって私も思うから
だから
 
傷つくのも 悲しくなるのも 不安になるのも
私があの子を愛してるからだって
そう思って 愛 という言葉でフタをする。
 
 
でもさ、私、、、自分に丁寧じゃないって思いが
どうしても拭えなくて
 
湧いてくる感情を丁寧にすくってないような気がして
自分をごまかしてる気がして
 
傷つくのがイヤだから
悲しい気持ちになりたくないから
不安になりたくないから
 
だから
 
わかったフリして
泣き出したくなるくらい悲しい気持ちをごまかして
そこにまっすぐ向き合わないで
 
耳障りのいい愛という言葉で
湧いてきた感情にフタをしてる
 
私は、経験すべき道のりを避けて
一足飛びに楽になろうとしてるんだって、、、
 
情けない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これでもかっ!ってくらい
自分にダメ出しをして
 
数えきれないくらい
何度も何度もフタという言葉を口にして
 
情けない自分を散々さらけ出して、、、
 
でも それでも
私が自分を諦めなかったのは
目の前に信頼してる人がいてくれたからだったと
今でもはっきりとそう思う。
 
 
 
そんなんじゃお母さん失格だよ とか
もっとしっかりしなよ とか
自分にダメ出ししてるようじゃまだまだだよとか
いいとか悪いとか
 
そんなこと言われたら
壊れてしまいそうだった私を
 
るみるみ ナノさん
かおりん ちえちゃんは
決してジャッジしなかった
 
みなちゃんの中に答えがあるよって
心の底から信じてくれて
 
情けない私のそばに
ずっとずっと寄り添ってくれてたんだ。
 
 
 
 
 
 
 
悲しくなるのも
不安になるのも
逃げたくなるのも
 
自分にダメ出しをして
情けなく思うのも
 
全部全部 道の途中。
 
 
それすらも、私の中の愛に行き着くための
大切な思い。
 
だからさ
フタをしたまま持っておくんだ。
 
愛っていうフタをしてね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その箱をいつか開ける時が来たら
 
その中はきっと愛でいっぱいになってるって思う。
 
 
 
 
 
最後の最後は、やっぱり愛。
 
どう考えても、やっぱり愛なんだ。