自分でもほとほと嫌になる。
長男といると
どうして私は傷つくことを選ぶのだろう。
あの子と話す時 私は事前に脳内で
何度も何度もシュミレーションをするクセがある
こう言おう そして こう返そう
そんなものは所詮脳内での妄想で
あの子が思ったような反応をしてくれることが前提の
私の想像が作った たわごとだ。
私は知っている
シュミレーションをするのは
傷つきたくないって思うから
それは
私が傷つくことが前提になっているということ
だから
結局 私は傷つくつもりでいるんだよ
そりゃ…傷つくよね。傷つくに決まってる。
自分の将来に口をつぐむあの子の今に
今は言いたくないんだね、と口にできない私を
情けないなと思う。
自分が情けない。
あの子にだけ どうしてあの子にだけ
それが言えないのだろう。
あの子の心の中が知りたい
知りたい知りたい知りたい
知ったところで何ができるわけでもないって
分かってるけど
それでも知りたいのは
私が安心したいからだ。
あぁ、、、私は
大切なことを話すことが愛情の表現だと思ってるんだね
私はあの子から愛されてるという確証がほしいんだ。
…アホやなぁ、私。
おい、私、あんたは自分の親に対してどうだった?
何にも話さなかったじゃん
子育ての辛さも 身体の苦しさも 夫婦の不仲も
離婚に至る道筋だって
全部全部隠してきたじゃん
何にも言わなかったじゃん!!!
それが私なりのその時の精一杯の愛情表現だったと
今になると思うけどさ。
…ね。
あの子の今は
私のその時とは別物で
あの子が私を愛しているのか
それは全然分からない
ただ
言うことも言わないことも
その時の自分の自己決定
そしてそれに対して責任を持つのも
やっぱり自分。
だからさ。
私はあの子の人生に口出しはできない。
あの子が選ぶ人生はあの子のものだ。
結局 私が信じるのは、やっぱり私。
あの子を愛しているという私自身だ。