ピアニストになる為の道や経験、
今ピアニストとしての価値観や感じる事を、
時系列関係なく、脈絡もなく、
思いたった時に更新する、
『森本麻衣のピアニスト道』
ピアニスト道 1
「千差万別な努力」
なぜか思い出した。
芸大受験を目指して愛媛から東京に
レッスンに通っていた日々。
大師匠である先生のレッスンを受ける為
飛行機で通っていたあの頃のこと。
今思うと改めて、すごいことで…
本当に両親に感謝。。
レッスンが終わると泣きながら
帰ることなんてほぼ毎回。
先生には
レッスンは緊張するのだから
100%練習してきても50%しか出せないものなのよ、だから150%練習しなさい。
そうすると100%近く力が出せるでしょう。
と言われていた。
だから、自分では
そう精一杯練習しているつもりなのに、
最初のうちは何がポイントなのか
何を確実におさえていないと
論外な演奏になってしまうのか
分かっていないため
練習が成果に直結せず、
それがレッスンでも出せず、
(ここでいう論外な演奏とは
テクニック的に弾けていない
というレベルの話ではなく
もちろん指はしっかりと動かせるほどは
練習しているのだから
もっと専門的な音楽内容の話。
そのあたりはまた別の回で)
あまりの自分の不甲斐なさと悲しさと
更に自信が奪われていく感じで
メソメソ泣いていたのだ。
クラシックという分野は
過去の偉大な天才の作品を演奏する。
だからこそ
絶対におかしてはならないルールが。
(例えば、最大に簡単に言うと、
バッハをショパンの様に弾いてはダメとか。)
しかも、
そのルールを学んだ上で 自分の個性と
自分の芸術性をその作品にプラスして
演奏する。
…大変。。笑
でも、そうあるものだからこそ、
何百年も前に作られ、
高層ビルもパソコンもなかった時代に
聴かれていた音楽が
今この世の中でも受け入れられ、
感動を与え続けている。
本当にすごい事!
そう思いませんか??!!
とりあえず今回は努力の話なので
話を戻すと、
以前、
私は東京芸大を目指す子を教えていた。
彼女はすごく頑張っていて
私もそれを本当に認めていたし
わたしの分身のように感じ
上手くなって欲しいと心から思っていた。
私は基本、怒らないポリシー。
すごい!と褒めて伸ばすタイプ。
怒鳴る人なんて大嫌いです。
だけど、
本当に真剣な話をする時は
それはそれは真面目な顔で
声を殺してボソボソと話すから
いつもの感じと違って
少しただならぬ雰囲気なのかも。
その彼女は頑張っていた、
だけど、もし、
芸大を目指すのであれば
わたしはまだ「足りない」と。
努力と覚悟が。
むしろ、覚悟ができている人間には
それに値する努力は自ずとできるものだから
覚悟だ。覚悟が足りない。
「自分は頑張ってるから大丈夫」
この気持ちは
本番の直前なら素晴らしく良い意識。
不安な本番前の自信付けの為にそう思うべき!
ただ普段の練習の時にそうだと、
自分の成長を止めるストッパーになりかねない。
努力の量と成果…
これは答えが一つでないから
難しいところ。
例えば、
1日3時間練習したAさんは
こんなに練習して自分えらい!と思う。
実際の演奏は下手なのに。
1日3時間練習したBさんは
3時間しかできなかった、足りない!と思う。
案の定実際の演奏もそれなりの演奏しか出来ていない。
多分だれもがBさんの方が
長い目で見て、より
大きく成長できると思うだろう
私もそう思う
ただ、Aさんは悪気がないのだ
つまり、それぞれ人の考え方は十人十色、
3時間以上練習するという選択肢が、考えが、
もともとないのだから。
だけど現実は
3時間以上練習している人が
上手いしコンクールでも優勝する。
私が教えていたその生徒は
少しそういう感じだった
本人なりには覚悟しているのだろうが
私からみると甘い。
(と言っても寝ずに頑張って練習する時も
あったので、その時その時の対応である)
ある時このままでは合格させてあげられない
と思い、真剣に話した。
このままでは合格できないよ、
あなたの中で何かを変えなきゃならない、
前回のレッスンで言った事を
一つ一つ確実に直す姿勢がないのなら
いまこうしてレッスンに来る意味もない、
と。
そうすると、ポロポロと泣いていた
私だって言われたら絶対泣くだろう
だって、合格したいと思って自分なりに
頑張ってるのに、
このままじゃ合格できないと言われたのだから
ポロポロと泣きながらお家に帰り、
親御さんから
私は大変なメールをいただく。
要約すると泣かせる様な先生にはつけない
とのこと。
親御さんの気持ちも分かる
彼女の気持ちも分かる
私も全くもって彼女と同じ道を
歩んできたのだから
むしろ誰よりも分かる
でも
よく考えてほしい
今、辛くて泣いても、現状を知り、
更に上達する道を選べる「可能性」を知るのか
なあなあで受験を迎えて不合格になって
泣くのか
大事なのはどっちなの?
そう色々と思っていた頃
千差万別の「努力」について改めて考え
価値の違いがあってもプラスにする為には
どう導けば良いのか考え
逆に、
人間の価値観なんて強要するものでは
ないのだから
そこまでストイックにやらなくても
良いと思う方も沢山いて
その考え方も間違いではないのだから
そのように伝えたのが間違いだった
とも考えた。
辛いと思うけれど
努力はその過程を自分で評価して満足しては
意味がない
結果が伴うように
ゴール地点を定めてそして
新しい価値や知識を柔軟に取り入れ
そしていつまでも満足しない過程を
前を向いて進むのだ
あとになって努力だったと振り返れる
「努力」が本当の「努力」
オリンピックに出場されている
アスリートの皆様は
一般人が想像もできない努力をされて
いるのだろう
想像もできない練習や方法や信念を
持っているから、
だから、
トップアスリートになっている。
トップアスリートになれている。
いうまでもなく
スポーツのセンスや音楽の感覚は
生まれ持っての才能も大きいが、
努力できるという事も大変な才能。
そして、
生まれ持ってのセンスや感覚よりも
努力の才能は 年齢関係なく
いくらでも開花させる事ができると思う。
それぞれに違う努力があるとしても
目標があるのなら
上を目指すのなら
自分の中の「努力」の壁を
つきやぶれ!
そう思ったりしてます(^^)