【『おわりに⚫︎私はもうストーカーではないのか』より引用】
ストーカーの認知件数は毎年二万件ほどあるが、その多くが管告や禁止命令によって表面的な動きが見えなくなることに本当の怖さが潜んでいる。被害者の陰で、執着を捨てられない加害者たちが思いのはけ口を探して、人知れずのたうち回っているのだから。
それは表面化しないことがほとんどではあるが、おそらくほとんどのストーカー加害者が執着を捨てきれずに日々を過ごしている警告や禁止命令が出たことだけできれいさっぱり忘れられる人はまずいない。それがストーカーなのだ。
被害者にとっての恐怖の根源は、この”粘着”にこそある。
(中略)
この恐怖をいったいどうすれば拭い去ることができるだろう。
それは加害者が“粘着の人”から本当の意味で脱却するしかない。医療機関での治療や更生支援施設でのカウンセリングなどによって、ストーカー自身が自分と向き合うことがなければ、その気質が消え去ることはない。
そしてそれは決して簡単なことではない。
【引用終わり】
元ストーカーだった著者。
母親から体罰を受けていた子供の頃から、母親への暴力、放火、付き合っていた彼女へのストーカー行為、同僚の女性へのストーカー行為、ストーカー専門のカウンセラーへのストーカー行為と壮絶な半生が書かれています。
精神科に入院しても治らず、衝動性を弱める治療をしても治らず、、、、こんなひどい状況から、ご自身の更生にどう繋がっていくのかな?、、、本の残りページは少なく、これは続編があるのかな?、、などと思い読んでいくと、、、、
残り20数ページのところで『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』(原作・ゆうきゆう 少年画報社)との出会いがアッサリと語られます。コペルニクス的転回? 人間の転機なんて、偶然に、アッサリと訪れるのかもしれません。
読ませていただいて、著者がつきまとった女性たちに求めていたのは「承認してくれる存在」「自分を見捨てない存在」「母親のような存在」なのだと思いました。
だとすれば、今は「ストーカー・リカバリー・サポート代表」という社会的役割が著者の生きる力の源泉になっているように思います。
本音と建前が交錯し、クソ真面目で純粋な人ほど生きづらい現代社会。
当事者同士のネットワークの中に生き辛い人達が居場所を見つけれたら、すこしはマシな社会になるのかもしれません。
「粘着の人」守屋秀勝(産学社)
【7月21日読了】
【オススメ度★★★★】